肺 癰   肺 痿 

 

 肺癰は素問に出、霊枢には「隠々として痛む者は肺疽なり。上肉の微起する者は肺癰なり」とあり。さて此の病の始め発するときは風邪の咳嗽に異ならず、膈に引きて咳の度に痛む。其の痛む処、隠々として左右の肋骨間に在り。張★人の右脇に限ると云いたるは、余が所見には合わず。常の咳嗽にも引きつり痛むことある故に、意を用いて弁せざれば誤るものなり。此の証、音声さびたる声になり、又咳もひしげたると云う様なる声にて麻疹の咳に似たるものなり。濁唾臭きものなり。其の中に米粥の如きかたまりたるものあり。痰は一体が膿に似たれば、見てはわかりかねる故に、水に投じてみれば膿は沈み形散じて底に凝り、米粥の如きものあり。間に血を帯びたるものあり。尤も臭腥あり。『医燈続焔に曰く「肺癰を試みる法、凡人は隠々として痛みを覚え、咳嗽臭痰有り。吐して水内に在り、沈なる者は是癰膿なり。浮なる者は是痰なり」とあり、其の人膈間の痛みは強きと弱きあり。或いは背瘠にも隠々と微腫を作すあり。張★人、「微寒熱、自汗盗汗ありて労 に似たり」と云うは尤もよろし。其の脈浮弦、或いは大数、或いは滑数など皆治すべし。労 の半頃より此の証になるは併病するなり。本病が難治なる故に必死とす。一本堂、肺癰を労 中の別証と云うは不可なり。さて又上に膿を作したるを肺癰と云う、下に毒を蓄めたるを腸癰と云うにて、必ず肺の蔵へ膿をなしたるにも非ざるべし。膈内肋骨間へ引きつり痛む処が毒の結び膿たる所と見ゆ。胃管癰と云うも素問に出れども膿を吐すことは論ぜず。霊枢に「隠々として痛むもの胃 癰なり」とあり、入門瘡瘍全書等に膿血を唾することを記すれば同じ物と見ゆれども真中に非ざるもの、胃管と云いがたし。『医宗金鑑』に「咳嗽無し」とあり、是は怪しき説なり。且つ又膿を吐くは何れにも胃管へ出て後吐出すれば吐膿を肺癰とし、下膿を腸癰とするまでにて深く拘泥すべからず。只此の証度々あれば見つけずに誤治すること無き様に講究するを吾が門の第一とす。肺癰のみにて飲食もなり、気力脈候整いたるは必死とせず、古方桔梗白散を用う。仲景亦難治とせず、金匱に「已に膿を成したるは救い難し」とあれども、必ず然るべからずなり。肺癰湯にて治すべし。白散を用ゆことも有り。又一種咳嗽して臭気あれども膿なきものに肺癰湯を用い、或いは甘草を減じ用いて効を取るもの是、作らんと欲して未だ作らざるの時なるや。何れにも此の証には桔梗を主薬とす。禁忌を厳しくすべし、少しく厚梁を食すれば再復す。癒えて後も禁ずべし。食により再復し、或いは死に至るも多し。肺痿は膿なく痰も少なし。是は却って労 の一種にして難治とす。其の症候は余も知らざるところなり。古書に其の症候未だ詳ならず。「 せざる者は渇せず、甘草乾姜湯之を温む。又涎沫を吐し する者は生姜甘草湯に宜し」とあり、余別に考えるに『病源候論』に萎に作る。是はシボムと訓ず。萎に を加えたるにて、痿はなえたるの義なれば、肺痿と云うは声音枯委して潤い無しの意ならん。夫れにて痿と云う名を命したるやと思われる。然れども古書に此の事を論ぜず、今これを考えるに、声痿し終身失音するもの有り、是は寒熱なし、肺痿とは異なるや死に至らず。又瘡毒にて会厭陥落して声の痿たるものよく似たり、混ずべからず。金匱に肺痿肺癰篇あり、其の方薬用ゆべきもの多し。見て知るべし。炙甘草湯なども用ゆべきなり。

 一男子四十所。声委し咳嗽、時々膈間隠々と痛みを覚う。飲食味わい無く、其の人痩せて元気は常の如し。只疾歩することならず、脈浮数なり。即ち肺痿と云う。医薬一年験無し、かさねて野州の温泉に遊ばんと欲す。行装已に整えて、一夕俄に吐血数升して死す。 一士人久咳、午後微寒熱す。人以て労と為し飲食美ならず。半日床に臥す。数医を経て余を迎う。其の家に至りて未だ診せずに咳音を聞くに肺癰なり。之を診するに脈細数ならず、浮大数なり。左膈間咳嗽する度、引き痛む。背も其の辺隠々と痛む。昼夜痰を吐くこと多し。間に血を帯びる。四花に灸し獺肝を服すれども効無しと云う。かさねて其の痰を験るに米粥の如きもの有りて膿なり。乃ち肺癰なりと告げども信ぜず。水中に痰を投れて膿と痰との異なることを諭す。始めて余が言をさとる。肺癰湯を与え白散を兼用すること二度、数十日を経て癒ゆ。

 

  桔梗湯  白散(傷寒論)  炙甘草(千金)  肺癰湯(蔵方)