巻 之 三 

 

 

     脚 気 

 

 脚気は中世、治療の法を失いて唐にも其の沙汰薄くなりたり。隋唐の頃は其の名も多く載せて、脚弱、又緩風、或は風毒・脚気などと云う。千金に「項弱を緩風と名ずく、疼痛するを湿痺と為す」と見ゆ。皆古名に非ず。左伝に「韓獻子曰く、 瑕氏は土薄く水浅し。悪しきは観易し。観易しなれば則ち民愁う。民愁へば則ち塾隘す。是に於いて沈溺重 の疾有り」と。是は脚気の事ならん。又陸遜が「上疏曰く、鬱霧其の上を冥し、鹹水其の下を蒸し、善く流腫を生じ、転じて相汚染す」。胡三省註に曰く「流腫は毒気流して足に下り、之が為に腫るるを謂う。古人之を重 と謂い、今の人、之を脚気と謂う」と見ゆ。 

 流腫の名は皇甫謐の伝に「浮気流腫四肢酸重を伝う」と有る。又『古今録験』に水気病に入れるは非なり。素問刺瘧篇に曰く「風瘧、瘧発すれば則ち汗出で、悪風、三陽の経、背愈の血ある者を刺せば  痛す。甚だしきは之を按じて可ならず、名ずけて 髄病と曰う。 鍼を以て絶骨に鍼し、血を出でば立ちどころに已む」。是は瘧にも云う通り、瘧後に脚気になる者多し。 髄病も脚気のことならん。何故後世此の名を唱えざるや、此の病水腫と混雑になり、其の療法も詳らかならざることに至れり。金匱の痰飲篇と水気篇とにて見合いて治法を運用すべし。何故痰飲の薬にてよろしきなれば、留飲も胸腹に水を蓄えるの病なるが故に同方にて有験なり。一方にて数病を治するの使様、是等にて味わい知るべし。

 内経の厥論は大半脚気に似たり。されども適当せざる所、有厥の義は『叢桂偶記』に詳らかに考えたれば是を読んで見るべし。衝心するところ、此の病の持ち前にて治方にも目利きにも骨の折る所なり。千金・外台に其の門を分かちて治方も多く載せたれども、『病源候論』は一々に取り決まりなし。

 江戸に松井材庵なる者、『脚気論』を著し諸書の論を輯め評注したるものあり。又源養徳なる者、『脚気類方』を著し広く脚気の方を輯めたり。二書にて療治のすむと云うには非ず、此の二人、本邦にて脚気を唱え始めたるに非ず。脚気の世に唱える人の多き故に、思いついて著述したるならん。脚気を説き、初めて其の治に妙を得たりと云いしは東洋先生なりとぞ。

 さて又脚気は公侯・富貴の人、常に膏を食して身を労せぬに作ると云う。是も一因にあれども又貧賊の人にもあり。必ず膏梁のみで作ると限るべからず。傷寒の後、或いは瘧疾、痢の後、産後にも作る。又下疳を患いて後に多く作る、骨疼なりとて治を誤ることあり、意をつけて見るべし。其の因は 血ある人、食により又脛を風寒にさらし湿を合わせて発す。壮実肥態の人、なにとなく腹満して長座などすれば麻することあり。一体麻することは久しく居しけば順流する気を留めて痺れるものなれども、夫れと違いて少しの間座しても痺れ、小坂を登りても息切れるか、又少し動いても息切れ、足は遠行して草臥たる心地して何となく怠く覚え、或いはつまさきのかえり悪き故に少しの物にも躓き、又草履を着るに手伝いなくてはならず、又は脱ぐるを覚えず、甚だしきは脚萎えて起つこと能わず。是其の候なり。此の時、脛を按じてみれば指の跡つくものなり。腫れの少なきは外面よりは見えず、強く按じて後、軽く撫でてみれば指頭の跡皮下に凹みてあるものなり。水腫も始めは此の如し。是其の催しにて四、五月より八、九月に多く、寒来れば止む。一、二年も催して夏になれば癖なりなどと云うは脚気なれども幸いに夫れなりですむ人もあり、終に脚気の形あらわれること有り。以上の容体、脚気の初起には千金にも外台にも載せたる八種の灸をすべし。気根届きて日に灸し、或いは月々に灸して一、二年を過ぎて其の候、止む人あり、数々試して効を得たり。又年々腫れる人は八味丸を連服して食も梁肉を省きて淡薄にすべし。是亦数々試験なり。何れ夏月に多き病にて是全く 血・湿に逢いて発する所なり。凡そ足に力無く、草臥たる心にて微腫を帯たるは猶更微腫なくとも常に灸すべし、熱を覚えざるは毒深し。八種皆灸、軽きは八種の内、三里・風市・承山等をぬきぬきに灸すべし。灸しながら『三因方』の六物附子湯を用い、足の不自由に専らに用う。 又腹攣急して痺れるには桂枝加苓朮附湯、足に腫れなくとも初めより気急なる者、最も懼れるべきの候なれば油断なく診すべし、即ち衝心の兆なり。其の初めは何故もなく遠行して草臥たる心地を初症とする故に、第一に問いて案に備うべし。脾胃虚の候の四肢倦堕となして補うべからず。さて夫れより脛の内廉腫れて重く、臑肉の真ん中の筋が引きつり痛む。夫れより引いて腹の両傍攣急して起居にも息切れして再々に腫気も増す。時に其の腫れの堅きは治し難く、軟なるは治し易し。是は水腫も同じことなり。如何と考えるに、堅きは肉の間に水を蓄えるとみえ、軟なるは皮下に水を蓄えるとみえたり。其の膚の色水々として潤沢なるは、此れ皮水の腫れ故に治しやすし。其の腫れ平身の肌の如くにて肥えたるが如く膚潤いなきは治し難し。是を腫の看法となす。医書に軟は虚腫。 は実腫となすは理屈ばかりなり。微寒熱を帯び、舌上にも胎ありて渇し、小便不利・咳喘脚弱は形の具わりたるなり。是越婢加朮湯の証なり。越婢は咳渇なくとも脚弱ばかりにも用うることあれども胡洽方に従って加附子にすること、良脚にめぐりをつける為めなり。又熱毒内に鬱したるに加犀角用いて度々験を得たること有り。気急衝心の勢い激しきは平水丸・甘遂丸の類を三、四五分見計らいにて用いて其の急を救わねばならず、一旦下りても亦前状をなすは再び下す。其の時は目方を増さねば薬力なし。是は急を救うの権道にて、下して腫れの引きたるは日を経て又立ち帰るもの多し。小便快通して腫れの引くに非ざれば真の治にあらず。下すは是非なき術と思うべし。下された張り合いにて小便順利することも有るなり。是は前日より目利くはなし、用いて知るなり。又項頚、或いは手足胸間などに小さき爪にても押し付けたる如く、別にムックリと腫れのあることあり。是水腫の偏に腫れの多きと似て異なり大いに懼るべし。其の筋如何と云うに、一体へ満たずに此の如くに聚まるは毒の結びたるなり。衝心急なるものなり。小便赤渋、大便難、服薬効なくば難治とすべし。衝心するは次の間に居たる人の駆け付けも間に合わずほどに急なるものあり。檳榔子の末を童便にて服すべし。檳榔子は兼て製したるは効なし、臨時に製すべし。大抵一度に一銭半も用うべし。黒豆煎汁に童便を和し用うるも良し。又生姜汁も加え、又黒豆湯も用ゆべし。桃花は心下一寸ばかり下に動悸あるに用う。十棗湯は胸膈の痛むを目当てに用う。皆衝心をくじくべし。

 凡そ小便黄赤は不利の兆し、清めば快通の候とす。故に便量少なくとも清便になりたらば、不日に通じの付くと思うべし。又米 の如く白き小便なるは虫積の候とす。脂の如きは失精家に属す。八味丸を煎服すと芟凶湯なり。是は水腫も同候なり。夫れ心下に堅く塊の如く凝り、小腹などには格別なることも見えず、或いは手足にも腫れなき所もありて常に異なることの有るは先ず水腫には稀なり。木防已加茯苓芒硝湯なり。本方には去石膏とあれども熱渇など有れば去るにも及ばず。周身軟に腫れて呼吸にさまたげうすきは防已黄耆湯などにてよし。黄耆は水道を通し皮水を散じ、表を温めるゆえに皮膚の不仁するによし。「風水、脈浮、身重く、汗出悪風する者」とあるは、肌表にかけて用うるのことなり。熱して気血凝滞して腫れたるは九味檳榔湯なり。咳のつよく出たるは豁胸湯、犀角を用いる腫れは、 毒内に鬱して熱胸膈より肩背を牽きしめる如きに用う。一角は上衝するに用う。又衝心にも用うべし。水腫も同じ。又周身腫れて足重く気急して平臥ならず、腫れ色潤いなく見ゆれども、腫れ軟にて皮水にして胸間にも腫満し、膚色は常の如く見えるには相皮湯を用うべし。呉茱萸は中 の処に見所あるべし。鯉魚湯を脚気にも用いることあり。俄に足の萎えて起歩することならぬは、痿癖の症もあれば諸候を診して治を誤ることなかれ。しかし痿躄にも脚気を帯びることあるものなり。どうしても験無しに化毒丸を少々ずつ兼用すべし。方は下疳に見ゆ。

 胸より喉にも腫れあれば、音声、物をふくんで言うが如し、凶兆なり。水腫同じく凶とす。

〇腫れ少なく、数日の不利にて甚だ堅く腫れ、煩渇するは是水毒内に伏するなり。衝心甚 だ急なり。

〇平臥することならぬは衝心の候なり、肩息するは衝心。

〇胸間動気強く、人迎の脈あらわに見ゆるは衝心の候。

〇腹候に心得て衝心をはかるべし。呼吸の応にて知るべし。

〇言語に息の不足とため息するの類は皆衝心す。

〇手足心の平になるほどに腫れたるも、欠盆の平に腫れたるも悪症なるは水腫と同じ。  煩渇・黒胎は白虎にも承気にもなるべし。熱を帯びたる水腫には、少し大半脚気に属す。はやはり本方証にて腹満を第一とすべし。白虎は一時の渇に用う。小便不利の渇は其の方多端なれば、ここに語尽くしがたし。産弱になる、又脚気の人、年高く壮実なるは中風の姿を兼たるあり。中風の中に脚気を兼たるあり。皆急に衝心せず、緩風の名にあたるなれども、一体脚気は衝心すること本症なれば必ず意を加うべし、附子の症多し。腎気丸に脚気腹に入る、少腹不仁と云うこと有るは、強きは臍上まで弱きは臍下を按ずるに麻痺し、他人の肌の如くなるものなり。全快するに随いて段々に覚え出るなり。又水土に服せずに患うるあり。『東門随筆』に叡山御修復の普請小屋の人夫共一般に風毒腫を病みたる事を記す。是は軍国の時には必ずあることにて大人数を動かす時、此の手当てを心得べきことなり。  

 「後魏の武帝、大通三年、侯景建康を囲う。閉城の日、男女十余万。 甲なる者二万人、れること既に久し。人多く身に腫気あり、急死する者什に八、九。城に乗る者、四千人に満たず。皆羸・喘・横尸し路に満す。又同年東魏、頴川を攻める。長社の城中に塩無く、人攣腫を病む。死する者什に八、九。又隋の煬帝、大業元年、劉方、林邑を征す。士卒に腫足し死する者什に四、五。方も亦病を得て道に卒す。後梁紀に晋王曰く、劉 人を襲うに長じ、決戦に短ず。彼が行を計るに終に山下に及ぼし、すみやかに騎兵を発し之を追うに陰雨積旬なるに会う。黄沢の道険菫、泥深きこと尺余り。士卒藤葛を援て、而して進めば皆腹疾み足腫れ死する者什に二、三。又燕王守光滄洲に奔す。寒を渉りて足腫れる」。『医宗金鑑』に青腿牙疳と云う門を出せり。北路随営の医官陶起麟、其の治方を云う「内治の人の初めて辺外に居て、此の証を得る者、十に八、九居る。蓋し、中国の人、辺外厳寒に耐えず、更に湿地に座臥して腿青腫を致す。内体頑硬にして歩履艱難す。又五穀欠少に縁て多く牛羊等の肉を食し、胃火上薫じて牙疳を致す」とあり、粤蝦夷に長く居る人は気急脚腫れて死するもの多しと、是即ち脚気なり。金鑑の説に似て牙疳の事は未だ聞くに及ばず。加味二妙湯等の方を出せども皆脚気の手段にて宜し。

 一婦人十七、八。鬱々として人に対することを忌み、夜睡ることならず、暁に及んで睡り食乏しく其の他苦しむ所なり。起歩するときは気急なり。花月の時に遊行を勧むれども出ず、一、二医皆鬱滞、或いは言う、労の催しと。因って薬を投ず。四花に灸すること二、壮、一佳処なし。人々不治となし其の身も労なりと思いて、一日増すに元気もなく余をして治せしめんと乞う。脈数ならず寒熱もなし、腹部両脇につきて二道の大絡張りて有り、月信も常に異ならず、外に考えるべき証もなければ、右の絡を強く按じたれば脚に引きて痛む。かさねて脚力を尋ねるに毎朝起きるときに双脚麻木して急に起きること能わず、暫らく按摩し屈伸数篇にて能く起歩すと云う。是ぞ第一の主証なり、速やかに承山・三里へ灸す、痛みを知らず脛も腫れはなし。是を脚気といわば人、誰が是を信ぜん。六物附子湯にて数十日を経て治したり。遊行を嫌いしは脚力の悪しき故ならんに、児女子故に明弁せぬなり。

 一商痢後、浮腫脈洪大、数医を経て腫れ消じ飲食もなり、既に百日にならんとすれども、痿弱して起歩することならず、脛の表に堅く結びたるが手掌ほどになりて有り。按ぜば痛むと云う。余診するに平なれども、ややもすれば一止す。呼吸は何のこともなし。腹は急にて背につきたれども極めて悪しきばかりになし。囲碁、或いは弾弦などして居る。余桂枝加苓朮附湯を与う。一夕俄に足の凝りたるもの散じて両脚自由になりたると歓ぶ。暮れに及んで乍ちに呼吸塞迫して転倒煩躁して死したり。是は一向に衝心するの急なることは見付けざりき。

 一婦女常に脛に凝結したる肉有り。腫物癒えたる跡の核、疣の如き手ざわりにて、長く小判ほどなるが左右にありて夏月になれば年々周身微腫し、脛も不利なること四、五年なり。余即ち八種の灸を教えて凡そ千余壮す。腫れて結びたるも軟らかくなり、明年又凝りて し。腫れを催すこと前日の如し。又灸す。是より三里は痕をして癒えさらしむ。終に全く癒えせり。前条の商人を見たるは十年前にて余が技、猶未だ及ばざるの時なりき。今再考して灸せざるを思えば気将に昏せんと。

 一商脚気を患う。咳嗽甚だし、一身皆腫れ呼吸迫して衝心の兆しあり。越婢加朮附湯を与うに験なし。豁胸湯に転ず、又験なし。甘遂丸を与うに下利せず、一日俄に嘔逆し水薬共に受けず、気息急迫、平臥すること能わず、座して背を按摩するに陰嚢腫脹して寸時安きこと能わず、其の嘔甚だを以て小半夏加茯苓湯を投じるに飲み受けたり。次日依然たれども嘔吐少し止む故に連服すること三日許り、嘔逆止みて粥を食す。小便清利する故猶前方による。追日快利腫れも随いて消し、呼吸穏やかに平臥することを得たり。余り其の効ある故に前方を守る。三十日許りにて全快したり。

 

鯉魚湯 脚気上気、湯を引きて脈大なる者を療ず。水腫にも用う。何れも腫れに光りて艶    あるを治す。

   生鯉魚(一尺なる者、腸を去りて洗浄す)

 右水六合を以て煮て三合に至り、鯉を去り一合を服す。日に二たび夜一たび。服するに 漆器を用う。生柚皮・独活・芽山椒等、好みに随いて之を入れる。腥臭を避ける為の故 なり。

 

九味檳榔湯 脚気、気血凝滞する者を理す。

   檳榔 橘皮 桂枝各五分  木香 大黄 紫蘇 厚朴 枳実各四分  生姜五分

 右九味煎じ服す。

 

黒豆湯 脚気衝心、周身洪腫する者を治す。

   黒豆八銭皮を去る  桑根白皮一銭五分  浜榔一銭五分  郁李一銭殻を去る。 右四味、水四合を以て先ず黒豆を煮て二合に減ず。諸薬を内れ一合を取り日に三剤。

豁胸湯 脚気衝心を理する方

   呉茱萸  桑白皮  茯苓  犀角

 右四味、水二合を以て煮て一合を取り分かちて服す。

 桃花散、並び湯(水腫に見る) 大承気湯 十棗湯 防已湯(以上傷寒論)

 越婢湯 腎気丸(以上金匱要略) 六物附子湯(方彙) 平水丸(転胞に見る)

 紫円 小児門  桂枝加苓朮附湯 桂枝湯中加三味也  相皮湯 甘遂丸

 

灸 八種 三陰交 承山 風市 三里 伏兎。八種の灸法の外に一穴ずつしゆることも有  り、病の軽重によれり。八種は風市・伏兎・膝眼・犢鼻・三里・上廉・下廉・絶骨な  り。詳しくは『経穴彙解』に出せり。