噎 膈   反 胃 

 

 噎膈は食を下すことならぬ病にて、噎とはかりもか噎と計も云う。噎はむせることにて戦国策に、「噎して後に井を穿つ。何ぞ急に及ぶ」と有り。水にても飲まずば通ぜずなり。人は食物噎するが故に杖端に鳩の飾りを作す。鳩は噎せずの鳥なり。是を鳩杖と云う(漢書礼儀志)。膈は胃膈の膈なれども隔と云う意なんめり。又素問に隔中否隔、霊枢に上膈々洞、下膈、脾膈などと見、噎は素霊には見えず。五噎五膈と云うは『諸病源候論』に出ず。(気噎憂ー食ー労ー思ー憂膈気ー★ー寒ー熱ー)。又『羅天益衛生宝鑑』に十膈を出せり。此の外外食噎酒膈の類其の名繁し。膈隔★★に作る、異義なし。

  又関格と云うあり。格は吐逆し関は小便不利のことなり、と雖も膈噎・反胃・関格と並び称す。さて噎膈は古昔より難治とす。故に幾の奇法良法と雖も治すること無し。病因の論多端なれども胎毒・ 血に属す。痩せて気勝ちたる性、急に烈火の如くの人に多く、一体智巧人に勝れ機会を以て世に居る人の病なり。愚癡と温厚の人は病まぬ。又猪首の人に少なく鶴首の人に多し。其の病状、食物咽喉につかへ飲めども下らず、其の★は白沫ジワジワと聚り出て、冷水を飲んで通じる時もあれども、是は初起のことなり。後には強いて湯水を飲めば鼻孔より出て終には支えたる食物を吐き出す。さて粥も通り難きは糯米の粥、又麺類にトロロをかけ、又餅団子喉にて散ぜざる物を食すべし。夫れも通ぜずは、キナコをかけて飯を食すれば奇妙に通ずる。此の症下れば必ず吐すること無し。心神変ぜず、外に苦悩なし、壮年にて病は大半治するなり。丹水子の利膈湯、或いは半夏瀉心湯、及急湯など。又★羅果一味煎服するもよし。何故に喉につかへたるか偶に下れば又吐すること無しと云うを尋ねるに、喉の食道の左右に大絡有り、其の絡中に 血凝結して 瘤の如くになる故に食道を狭めて通用を塞ぐ。其の所を通過すれば胃中に納まる故、吐することは無しなり。通ずることならず故に上にかえるより外に無し。是は吐には非ず下らずなり。往時西京に垣本鍼源とか云う人、刺絡を以て行なうる。膈を治するに人迎の辺りにて絡の怒脹し食道を狭めるものを索得て、鋒鍼を上に向けて刺す。黒血を流す。絶粒の人、立地に食すること得たり。日を経て又前症を発す時に偏の絡を刺すと又食を得る。其の 瘤の所、て知り難し。一、二度刺せば鍼の痕、邪魔になりて刺すこと能わず。終には又不通になり死ねども、其の通ずる時、生を万一にも望むべし。門人も多く見たれば其の術を伝えたる人、今尚有らんか。或いは曰く、膈を病む人、一日面部を撫でるに快きを覚う。日々に按摩して全快したりと。是は咽喉を挟む経絡の面部に浮きたるを按摩して結滞通暢したるならん。『病因考』に思量を省きて治したることを記す。是も絡脈順流したるならん。さて其の機あらば早く思量を省き日々潅水すべし。庶幾くは治すべしなり。

 反胃、又翻胃とも云う。同義なり。金匱に胃反と出て、猶転胞・胞転の如し。是は膈と違いて食の下らずには非ず、食物得と胃中に納まりてより出て、朝に食して暮れに吐す。癖嚢と云うもの反胃と同病にて、近頃此の辺の医多く癖嚢と呼ぶ。何故にか近来此の病多く、全く胃の力乏★飲食消化すること能わず故に、 気酸辛鼻を衝き 雑すること頻りにて腹痛甚だしく吐せば痛み乍ちに止む。故に指を以て探り吐す。食物を吐し尽くすの後には水を吐す。何の水の出るやと思う程多く其の水も吐し尽くせば煤色の物、又海苔の如くを吐すことも有り。滑便の人も有れども先ず秘閉す便の通ずるは痛み薄し。大概朝飯前快く午食後に至りて腹痛し以上の語る症を作し、晩間 後に吐す。丁字湯・曼倩湯之を主る。人飲食の味変ぜず却って食を貪し、平日に異なる。此の病寒疝に属す。臍傍に堅塊あり、是を按ぜば五体に響きこたゆ。数十日を経たるは腹の津液なく筋ばりて常に鳴る、或いは足 に微腫有り、又腹面に一物浮き出てムックリと頭足有るが如く、按ぜば手ごたえ無くジクジクと鳴りて没す。鳴らずに無きなるも有り。出没定所無く塊に非ず、絡脈の凝結するに非ず、此の物の見るるは大病にて一快を得も又再発す。甚だ不審に思う時に一狂人切腹するを押し留めてけるに臍傍三寸許り切りたり。是を縫いて治したる後に胃反を患う。彼の腹面に件の物浮き出て小鼠の如く、又蛇なんとの動に似たり。按ずればたわいも無く、没するに其の疵口の痕の辺りにて消す。よって思うに是必ず大腸の脂膜の切りて腸のほぐれて収まらざるならんと。是より意を用いて胃反の人を見るに、果して大腸の脂膜切れゆるみ定位に収まらずなり。疝気に蟠腸気と云う有り。『万病回春』に盤腸気に作る。是適当の文字なれども杜撰の恐れあり。金匱寒疝篇の大建中湯に「頭足有り、上下す」と見ゆ。即ち是を云う。最も建中湯之を主る所なり。此の病は法則を守れば什に七、八は治す。 『外台秘要』に華佗を引いて「胃反の病たる、朝食し夜吐す。心下堅なること杯の如し。往来寒熱、吐逆食下らず、此れ寒癖の作す所と為すなり」と有り。『千金翼方』に「癖を に作る。痰飲を治する法に曰く、諸結積・留飲・ 嚢・胸満・飲食消せずに通谷に灸すること五十壮」と見ゆ。寒疝とも寒 とも云うべきなり。其の源は 血凝結して形を作りたるなり。此の病人、何にても見あたる物を貪食し、食すれば必ず腹痛す。魚肉・餅・麺・生冷・菓実の類を食わせば別て大痛して晩に至りて吐す故に、厳禁すべし。さて日用の食物常法を定む。一日に陳倉米一合より二合半、粥又柔らかの湯取りの飯、是を四度に分けて食せしむ。飲食の多きを嫌うが故に、薬も一貼に限り湯水も一合を一日の分量とす。茶は別て悪しし。焼き塩・ひしお・梅干し・焼き味噌位のことにて食せしむ。厚梁の物胃中に入れば消化能わずが故に、痛むなれば淡薄にて消化し易しを食せしめ、自然に胃の力復すれば日月を経て癒ゆ。癒えて後も禁食専一なり。然れども此の食忌のこと容易の教戒にては守りかぬる。腹痛も吐も合点にて貪食するものなり。此の法を守る人は皆治すべし。守ること能わざる人は辞して薬を与えず。病状は旋覆花代赭石湯・附子粳米湯に似たれども、曼倩湯・乙字湯、背に徹痛せば当帰湯、吐甚だには安中散、疝と積とを参考して桂枝加附子、烏頭湯に香脂丸を兼用するも大小建中湯・工彖散も用ゆべし。秘閉甚だには大黄甘草湯に加呉茱萸牡蛎を用ゆ。積聚門に語る赤丸も生漆を酒にて用ゆるも此の筋に工夫して用ゆべし。人の手を束ねたるを治すべし。

 

治膈症方(宦邸使方)

  大糞焼灰、性を存し辰砂少し許りを入れ蜜水に調え服す。

 

烏神散 噎膈食下らずを治す。

  河豚一尾、腸胃を去り紅花を以て填満し焼いて性を存し白湯にて送下す。天石を末と為し、湯にて用ゆる、亦良なり。

 

利膈湯 噎膈を治すこと百発百中の神方なり。

  半夏二戔  山梔子 附子各一戔  甘草小  生姜三斤

  右五味温服す。

 

安中散 癖嚢病を治すこと神験なり。

  延胡 茴香 桂枝各五分  蛎粉一戔四分  良姜 乾姜各三分  甘草六分五厘

 右七味、水二合にて煮て一合を取り服す。酒肉・麺餅、一切の厚味塩茶を忌む。

 

香脂丸 血積・結痛を治す。

  阿魏二戔  乳香 没薬 丁香各三戔

 右四味、末と為し糊丸として毎服一銭、日々三たび空心に白湯にて送下す。

 

曼倩湯 丁字湯 工彖散 及急湯(蔵方)