鼓 脹   脹 満 

 

鼓脹を難治とし、脹満をば治すべしと云いて其の病二因ある如くに古来論ずる所なり。今是を考えるに一旦の病にて腹満したるは治すべし。漸を以て脹満するは鼓脹の初起にて共に難治なり。其の因、枯血に属す。婦人多く此の病を患う。経閉するもの其の先の兆しなり。又経水不断に病むを覃脹と云う。水腫篇に曰く「脹覃は如何、曰く、寒気腸外に客し、衛気と営を得ず。因りて繁る所有り。癖★著しく悪気乃ち起こる。★肉乃ち生ず。其の始生するや、大きさ雉卵の如く。稍く以て益す大。其の★ とあり、是亦多くあり。婦人は腹満に堪えやすく男子は腹満に早く困る。其の初め起こる時は疾苦する所なく、漸々に大脹するに至りて側臥することならぬもあり、其の腹を按じて太鼓の皮の如き引っ張る故に鼓脹と云う。脹の強きに随いて青筋、絡脈乳間より上浣のあたりに多く見はる。甚だしきは皮に光りを生じて医者の手の映するも、又障子などまで映するも有り、是を鼓脹とす。此の如きもの、腹を鼓すれば太鼓の如く鳴ると云うことを聞きたれども未だ試さず。最も甚だしきは頷下の皮膚腹へひかれて結び、喉の辺りまで引っ張り口鼻も斜めになる。『産論翼』に鎮神丸にて治したる、米屋の女房は眼目までが竪になりたりけり。此の如くに脹らぬに手に押せば、腹を按ずるの手ざわりの有るを腹満と云う。治すべしと云うは別因に非ず、軽重の分なり。数日を経れば小便不利して目 、或いは腰脚に腫を見し、夫れより臍傍なで腫れするも有り、臍の凸出するも有り、是甚だの悪証とす。益々救うべからず。寒熱あれば別けて凶兆なり。

 腹満には厚朴を主薬とす。厚朴七物湯・三承気湯の類、選用すべし。後世にて蘿蔔子・大根皮を主薬とす。中気を順するを主とす。附子の効多し。枯血に因る故に、甲字湯・鼈甲湯運用すべし。

 鼓脹は薬せずに置けば数年を保つべし。薬用するほど苦悩して却って死期を促すのみ。故に薬なしに捨て置くを一策とす。内経に雉尿醴を用に一草医、是を作りて用いたるに其の効神の如く治したるを見たり。余も夫れに倣って用いたるに寸効なし。又癩蝦蟆を黒焼きにし用ゆれば大放屁して治す、と云うことを見たる故に試みたるに是を無験なりき。小児の脹満は疳癖にて大人に比すれば治しやすし。黒瞳散など効有り、又「心下に大結塊あり、盤の如く辺、覆杯の如し、水飲の作す所なり」と仲景の論じたるは酒客に多し。大抵嗜し酒を嫌い、甚だしきは臭いも忌むもの、後に心下斯の如くになる。是は元来酒にあたりて、病なれば中正湯などにて、初めならば治すべきものなり。しまいには水腫になりて死す。枳朮湯を用ゆれども甘遂丸を与えて一下して大柴胡湯、或いは柴胡加芒硝湯の腹多し。什に三、四を治す。又蠱脹と云うは、やはり鼓脹に用いたること『叢桂偶記』に詳らかにす。

 俗に亀腹と云うは、腹大満箕の如く、腹面筋絡浮き出て亀背の如し。此の病治すべからず。薬灸ともに行なわずは数十年を保つべし。乳せずの婦人に多し。一本堂、是を腸覃に充つ。水気の因あるもの鎮神丸を佳とす。鍼砂湯を与えることあり。

 腹満して四肢痩せたるを蜘蛛蠱、又蜘蛛病と云う。形状に象りて名づけたるなり。尤も死病なり。

 素問五臓六腑、脹満を論じて一々に臓名を以てす。心脹・胃脹の類、又膚脹・★脹の名あり。以下諸書に種々の名あるは読んで知るべし。又古事記に脹満をホテと訓ず、今もボテ腹とは唱える言葉なり。

 一農家の子二十歳ばかり、石尊詣でより帰りて寒熱労の如く、顔色哀痩・腹満・少気、衣の前合わせず、青絡脈乳下より扶容の辺り、糸瓜の如し、常に暗室に坐し客を見ることを欲せず、脈微なり。難治なり。ひそかに其の父に之を告げれば、其の父頗る才気あるものにて曰く、其の小病に非ざるを知る故に遥かに枉★を乞う。仮令死すとも当国に於いては誰氏に託せんや。只薬を賜へば望み足れりと云う。急にも死すまじと厚朴七物湯を与えて去る。後に薬を乞うて曰く、余程快しと。余思うに前日断りたる故に薬を乞うの言葉なりと、又前剤を与う。又数日を経て再診を乞う。余先に難治と思い定めれば再診するにも及ばず、と答う。其の使い頻りに快き所を見せて加減を乞うと云う。故に辞を飾るとは思えども強て命★して行いて見れば、病者軽々と堂上に出迎える。余驚きて診すれば腹満消えて常の腹なり。寒熱病みて元気清爽、近隣に出て談笑すと云う。余り面目無く覚えども宜しき方へ違いたる故、家人の歓喜言うばかりなし。馳走に遇いて帰りたり。何故に斯の如く早く治したりや。今に於いて解せず。

 

  厚朴七物湯  桂枝加苓朮附湯  三承気湯(傷寒論)  鎮神丸(黄胖に見る)

  鼈甲湯(積聚に見る)  甲字湯  鍼砂湯  甘遂丸(蔵方)

 

 脹満を他医の治にて攻下して、劇剤を用ゆれば益々脹満す。追い追い論ずる如くに薬を飲まずに置けば病穏なるのみならず。鹿島辺りより一女鼓脹にて痛苦に堪えずとて来る。かさねて薬を断じて飲むなと諭して返すに全快す。

 又銚子にて去る夏、一鼓脹を見たり。是も薬を禁じて用いず、此の春全快したり。此の病に逢うごとに薬を用いずの論をすすむれども、多くは是非に薬を乞うより、わけもなく湯の様なる薬を与えたく方を製す。名を不及飲と云う。後世方書に、たわいもなき薬にて効能あるは鼓脹ばかりにはなく、万病にも此の意味あることなるやと思うなり。