瘧 

 

 瘧は古来より有る病にて、書経に「武王、万虐の疾に遘えり。周公金縢の冊を匱中に納めて祈りし。翌日乃廖たること有り。此の時瘧を知らずに斯は驚きたまうや不審なり」瘧は此の時代に詳らかなり。礼記月令に「寒熱節ならざれば、民瘧疾多し」周礼疾醫職に云う「秋時瘧寒疾有り」又左伝定公四年荀寅曰く「水潦まさに降り疾瘧まさに起こる。又 と云う瘧なり。襄公六年 作て伏す」杜預曰く「 は瘧なり」と見ゆ。素問瘧論に「 瘧は皆風に於いて生ず」。註に 猶老のごとしなり。又痩せなり。楊上善曰く「二日一発を 瘧と名づく」と見ゆ。素問に寒瘧・温瘧・風瘧・ 瘧、又十二瘧を出せり。是は十二経の瘧なり。 瘧は但熱して寒せずなり。金匱論註に曰く「 火毒なり。小児熱結の毒を 」く。亦黄 の病なり。亦此れ は皆熱裏に盛んなるの義なり。又金匱に牝瘧牡瘧の名を出す。呉崑方考に「牝は陰なり、陽無しの名なり。故に寒多きを牝瘧と名ずく」。金匱附方に柴胡姜桂湯を載せて「瘧寒多く、微に熱有り、或いは但寒して熱せず」とあり。牡瘧も附方に牡蛎湯を載せて外台を引けども、外台には傷寒論を引いて牝瘧と作す。金匱の瘧 「寒多し者は名ずけて牡瘧と曰く」とは牝の字の誤りにて、又千金にも出ず。温瘧は素問に「先ず熱して後、寒を名づけて温瘧と曰く。岐伯曰く「温瘧者は之を冬、風に中るに得る。寒気骨髄の中に蔵し、春に至れば則ち陽気大いに発するに、邪自ら出ること能わず、因て大暑に遇う。脳髄爍し肌肉消すと云々」。金匱に「温瘧なる者は、其の脈平の如く、身に寒無く、但熱し骨節疼煩、時に嘔は白虎加桂枝湯之を主る」。呉又可は温瘧胃に伝えるの説有り。按ずるに、瘟瘧も 瘧も寒無しと云えば是も牡瘧と同証なり。古論は日発を軽とし、一日を間するは重く二日を間するは猶更重しとす。今の見る所に合せざりて瘧の寒熱の休作あるは悟るべからず。表裏の気のとうか成りたる時ならん。此の形に似たるものは婦人産後の血症に振々として此の如くに振るうことあり。傷寒戦汗も全く瘧の発する時の形に異ならず。俗に疝気振るいとて此の症をなすもあり。以上の証、皆驚くに足らず。押し付け置いて皆治す。瘧も如何に強くとも大病に至らず。古論は湿に属し昔時より秋に多しとす。又 瘧と云うあり、 気を受けて病む。『嶺南衛生方』に詳らかなり。 如何の事にや、府下八、九年、年を追いて瘧多く寛政三、四年の寒暑の分けもなく、四季共に多く頒白以上赤子にも瘧あり。赤子は思いの外に困せず、小児も順して軽く中年以上の人のうい瘧には、或いは粒食を絶ち、疲弊して起居外候ともに危篤になる人多く見ゆれども、必死に至らず。『病因考』に瘧痢同因と論じて有るをとくと按ずるに、痢は裏に入る故に死に至り、瘧は表に病む故に死せずと見ゆ。瘧を病時に元来積塊のあるは截ちがたく。病も強し。瘧を截つるに鼈甲主薬なり。是、塊を破る故に治するなり。塊のある人は諸熱ともどもに塊へ熱を結ぶ故、何日も解いかね、労熱の如くになるも鼈甲にて治すは塊を削りたるなり。塊を結ぶを瘧母と云い、是は瘧に因って成長はすれども、今新たに出来たるには非ず。有来の塊の太りて現われたるなり。鼈甲を諸病へ用いたるはここより考え用ゆべし。又虫積のある人、嘔逆を兼ねて苦しむあり。是は柴胡加鷓鴣菜にすべし。諸方に九味清脾湯などを用ゆれども瘧にからかうこと悪し。只寒熱のみを治して一時に瘧を截るべし。然れども勢いの強きうち截りては一日は忘れたれども、其の次日に再発し、有来の発日には猶更に発して終に日発の瘧になることあり。或いは柴胡姜桂湯(仲景の方に非ず、小柴胡湯に乾姜・桂枝を加えた方なり)寒熱の多寡に応じて加減するの類あれども、最初には葛根湯を与えて其の表を発し、四、五日も経て小柴胡湯にすべし。若し渇せば小柴胡去半夏加括 湯なり。金匱附方には労瘧を治すとあり、瘧は何薬にてもよきことにて、小柴胡湯を用いたればとて格別に其の験も見えねども柴胡を用いるに勝りたることは瘧に構わず置き処を良しとす。瘧を誤療すれば種々の変症に至りては恐るべきなり。偶然なれば瘧の癒えたる後の事故に別病なりとし、病者も医者も瘧の災いなることを知らず、終には廃痼の人になるもあり。瘧はワナワナと振るえて後に発熱して、大汗出て小便通じて解すを平和となす。小便瀕数になりて淋の形になるあり。是を素問に「足の厥陰の瘧、人を腰痛・小腹満・小便不利ならしめ、 状の如くして に非ずなり」と有り、一種鬼瘧と云う有り。是は病状快く狂の如く、或いは物着の如く、躁乱するのみにて瘧は瘧なり。悪寒薄きあり、又悪寒無きも有り、即ち牡瘧・ 瘧なり。嘔するあり、煩渇するあり、汗無きあり、皆常に異なるとすれども、終には初めに説く如くワナワナと悪寒発熱の瘧の形に成りて治す。冷物を食すれば熱も早く解してあと爽やかなり。病勢弱く成りたる時截るべし。早く截るは悪しし。小便不利にて足へ浮腫を催し、手足共に力なく、草臥たりと心得ていることあり。大いに懼るるべし。其の人必ず心下に痞たると云う。是水気なり。起臥歩行にも呼吸せわしきものは終に是脚気・腫満に変ずるなり。速やかに治すべし。瘧論に「是を  痛甚だしきは之を按ずるに可ならず。名づけて 髄病と曰く。 鍼を以て絶骨に鍼す。血を出せば立ちどころに止む」とあり、古も此の証ありとは見ゆれども 髄病の名は後来唱えず、諸証備わりて脚気になりては死するもの多し。瘧の沙汰には非ず。又截りて後、再発したるが影のさすなりとて連日になり、そろそろ嗽が出て肉脱盗汗す。是は労瘧と名ずく。久瘧も労瘧と呼ぶとも、夫れと違って真の労咳と同じく必死になる。是には瘧母のあらわに見るも有る。油断して此の如くにすべからず。労瘧の名は素問に出ず。外台に経心録を引く。是は治療の誤りにもあらねども、病者瘧を軽視して保護宜しからず、或いは早く陰陽を合わせ此の如くなること十に八、九なり。よく禁忌を守らしむべし。又一体胎毒固有の人、発労せんとしたる折り柄にて病むも有るべし。他医治しかねたる跡ならば猶更先ず瘧を治するを第一とすべし。乃ちここが小柴胡湯の瘧によきと云う所なり。鼈甲の類を加えることもあるべし。治しそこねたる久瘧には補中益気湯加知母、鼈甲を用ゆべし。又柴胡四逆湯も運用すべし。一通りの瘧の截薬には、瘧勢柔らかに成りたる時に小柴胡湯に鼈甲、反鼻を加えて截る。夫れにて截れぬには附子を加えるべし。この手当てにて截れざるは常山にて截ること有り。又常山にて截れぬに前の加味にて截ることも有り。何れ腹に馴れぬ薬にて截るなり。又発後湯にても截るべし。此の薬は発日の朝より薬を断じて瘧の発して解したる時より二貼ばかりも服し、夫れより翌日も其の次の発日にも常の如くに用いれば截るなり。此の他截薬は種々あるものなり。『簡便奇験』の方二、三を示す。

 一士人の子、十六、七。瘧を患い甚だ軽し。四、五発して癒ゆ。其の父すすめて水を游びかしむ。翌日再復しけれども重ねて発せず。復、水の稽古に出たり。又一日発して止みけるに其の父も其の子の壮健なるを頼み、戦場などには此の如くならずんば用をなさずとて夜中に川辺に携行して漁するに網をかけたり。即ち水底に没入して之を取らしむ。次日微悪寒、爾来飲食進まず、黙々として人の言語も嫌がる。段々に臥床すると頻りに物すこき様にて傍人の手などを握り、人を便りにす。追日甚だしく一人にては厠へ行くこともならず、至って果敢の若者なりしが臆病になり終に音にも耳を塞ぎ、白昼にても人と対さねば臥すことならず。終に発狂して不治の廃人になりたり。

 一婦人瘧を患う。癒えて後、寝るにつけば息迫することを覚う。さて医治するに飲食も常の如く、是積なりとて数服の薬効なく、着座するよりも腰を掛けて居れば快きとその他苦しむ所なし。後数日に足 浮腫す。医の曰く、是は足を垂れて居たる故なりとて治しけ るに次第に腫満して両乳房一つに腫れ連なりて長瓢を横たへたるの形なり。其の異を見て一医を引く。分心気飲を与えて乳腫減じて一身に満ち、寒熱 嗽、呼吸迫し起歩すること能わず、煩渇して絶食なり。余に診を乞う。脈細数伏、両脚弱にて屈伸すること協せず。余曰く、是脚気なり、只其の日久しく疲れたるを如何ともすべからず、と辞すれども頻りに薬を乞う。余おもへらく今日までの治理大いに誤れば真の治にて万一も効あらんかと、九味檳榔湯に甘遂丸を五分与えたるに寸効なし。又七分を与えるに小便益少なく一下なし。満し堅く熱益甚だし。因って辞するに聴かず、木防已加茯苓芒硝湯を与えて其の次日に死す。

 一士人の子、年十六、七。一夕寒熱す。次日軽爽なるを以て瘧なることを知らず。翌日仙湖に舟を泛べ遊んで帰りて頭痛甚だし、乃ち臥するに熱を加う時、一丈人来て砂を握りて口中に入れるとて起走する。傍人夢ならん、静かにせよといえども聴かず、抱き留める人を払い、狂乱して烟盤茶碗を踏み散らし如何ともすべからず。是は邪崇ならんとて余を延くに、六脈弦大、流汗衣に徹す。是鬼瘧なり、暫らくして睡を催し、次日解したり。之を問えば、明に覚えて異人来て口中に種々の物を入れんとせしことを告ぐ。其の後、発す毎に同状なり。三発して後、之を截る。此の鬼瘧は怪しむべし、証候あるものにて治法には異なること無し。

  

  五八霜丸と為し、一銭発日早旦空心に服す。  

  独参湯 発日頓服  朮一湯濃煎し一夜露して星をうつし発日平明空心に頓服。 硫黄一味、或いは禹餘糧一味、発日平旦空心水五分を服す。  柴胡四逆湯  発後湯(蔵方)

  灸 大椎三、四十壮、是古法にて素問に出たる灸なり。

  八関を刺し血を出す。(八関は両手の指間赤白肉際の真ん中を刺すなり。素問に出たり)

 

正暦三年春。源頼光、瘧病の治療千万験あらず。諸医手を束ねて、儒師舟槁大納言来て杜子美が詩を授けて癒ゆ。其の句云う、璋髑髏血摸糊手擲捉還崔大夫(多田五代記)

 

是は此の句を書し、水服す。世に黒札にて截法は是をいやが上に書きたるなりとして瘧を截るのみに非ず、狐狸も畏れると云う、陸放翁の詩にも作れり。

 

               璋:玉のついた飾り

               擲:なげる