察 色 

 

 扁鵲伝に「病の応は大表に見る」とて、察色大切の見所、証候を知る所なり。顔色・声音・呼吸は定まりたることは余も知らざれども、診察の一つにて、人相者は一生の吉凶も云うことなり。さすれば見所多きものと知るべし。さて病人に対したる初日に、一々に心を付けて見て置くべし。夫れより後に変のある時は、初日の診と比べて見ると甚だ心得になることあるものなり。顔色も赤きは上逆、唇の白きは凶兆なるは俗人も知れる所なり。たとえば其の赤と白を得ると見て置けば、前より良きか悪きかと、後に計り知ることなる。心を付けて見れば、後には熱の伏したる顔色も、又狂騒するも、快を得るも、死に近きも知るべし。又眼中にて見えることもあるものなり。平人の喜怒の色は誰も知れる。病人も色は猶更心を用いるならば何ぞ知れざらん。医種子に載りたる察色の法を見て、古人の察色を論じること此の如きを知るべし。

 嘗て 公、諸侯を令することを読むに、衛人後れて至る。公朝して管仲と衛を伐たんと謀り、退朝して奥へ入れり。衛姫君を望見して、堂を下りて再拝して衛君も罪を請う。公の曰く、吾が衛に於いて故なし、子何ぞ請うことをする。曰く、妾、君の入りたまうを望むに、足高く気強し。国を伐つの志あり。妾を見て動く色あるは、衛を伐つなり、と申しける。明日公朝して管仲を揖して進ましむ。管仲曰く、君は衛を捨てたまうか。公の曰く、何ぞこれを知れる。仲曰く、君の朝に揖するや恭して言を出したまうに、往々臣を見て慙じる色あり。臣ここを以て知れりと。此の二人は心を専らにして 公に事える故に、其の容貌を見て、其の用捨を知れり。若し能く心を病者に専らにしなば、一望して其の病の深遠自然に知るべし。又季札が薬を聞いて言う所も、聞法の一義なりといえり。

 声音は力の脱たるは早く知れる所なり。肺癰は声音にてよく知れることあり。肺痿は猶更なり。ひしげたような、さびのある声になり咳嗽までひしげた様になるものなり。麻疹の咳はよく肺癰に似たり。小児の痢病などの、日を経て脱したるは泣き声かなぎり高く細くなるもの凶候なり。

 気急する病人、呼吸につれて小鼻の動くは久病ならば死に近し。久病ならぬとも安からぬことと思うべし。是を鼻扇と云うなり。

 爪の色も見所なり。青は寒、紫は 血など論ず。黄胖は爪の色潤沢ならず。或いは条理高く垢つき、或いは砕けて長からず、或いは厚くなりてへげる、或いは薄くなりて反りて欠けるものなり。又黄疸は眼中と爪甲より、早く見ゆるもの多し。皮膚の覆いもの無き故に透明して早く黄の見ゆるなり。爪は骨のようなれども条理ありて津液ここに通ず。怪我して強く爪を打つと 血条理に結して染まる如く。爪をはさむ時に小口(こっち)より見て、血も打ちためて凝りたるは知るべし。

 労 に桃花 と云うことあり。『証治要訣』に云う「面色故の如く、肌体自ら充ち、外看無病の如き有り。内は虚損す。俗に桃花 と呼ぶ」。新に粧う者の如し、顔色良ろしきとて悦ぶことに非ず。決して死を免がれず。又惣身顔色ともに痩せて両顴ばかり赤く、粧えたるが如く見ゆるを帯桃花と云う。労 に多くあらわれ、婦人・鼓脹にも有る候なり。何れも同じく難治なり。『外台秘要』云うたる、崔氏方の五蒸を治するの処に「嗽後面色白く、両頬赤を見わす臙脂の如し。色団々として銭許(ばかり)の大きさ如し。左に臥すれば即ち右に出る。唇口常の鮮赤に非ず。若し至って鮮すぎる赤ならば即ち極めて重し。十なれば則ち七ハ死に、三は活きる」とあり、今は医の拙なきにや十に一生なし。

 口眼咼斜するは中風にある証なれども、壮年の人の手足も滞る所なく俄に口眼咼斜するはやはり中風の一証をあらわせるなり。何の事もなく中風の薬にてよし。其の壮実をたのんで酒色過度の人、老来にて発する中風を取り越えて発したる故、諸証具せずに一証を表わせしなり。

 癩風も口眼咼斜する者あり。肉色を見て麻木を尋ぬべし。中風と違い一ヶ所ずつに 血の凝って不仁する者、其の処血色を察すべし。中風と異なり、又毛髪の脱落するや否やをも察すべし。

 痘は全く察色に在り。其の発する部分を以て云うは信ずべかざるに似たり。痘の多くは凶、痘の少なきは吉と云うは天下の知る所なれども、潤沢と乾枯とに吉凶あり。紅鮮と紫黒とに吉凶ありて多少に非ず。然れども少なきものは凶候の出るは稀なり。悉くは痘瘡門にて語るべし。

 狐つきは望んで知るべし。然れども狐に上下あり、上狐の憑きたるは紛れやすし。巫祝の言に云う、十三種ありて天狐・地狐・黒狐・白狐など云うは甚だ奇異なるよし。野狐は自分より口ばしりて、稲荷なり、赤豆飯を食わせしめよ、なんどと云うにてこれを医門に託せず、直に祈祷にかかる。又十三種の内の上狐に憑かれたるは祈祷も何も構わず病人と見ゆるあり。是を医者に託す。医者も又物憑きか乱心かのさかい知れかねるものなり。中にも乱心かと思えば、本心も所もあり、狐憑きかと思えば、乱心のようにも見えて、一日の中にも色々になる。夜寝かね或いは死せんと欲する真似をして看病人を疲らかすものなり。病人も意気を得と見て熟察すべし。能く気をつけて見んとすれば、病人嫌がるは乱心には少なし。又巫祝の風折(かざおれ)と称するあり。これは益々見わけ悪し。是は常に憑きては居らぬものにて、ちらりちらりと風に誘われたる如くになるよし。

 余嘗て巫祝の功者なるに問い求めたるに、彼の教えを後に試みるに助けになりたること多し。食事をする所を気を付けて見るべし。口もと常ならず、或いは大食になる人もあり、は食事をするに奴婢の外は人を近づけざるものあり。兎に角愚人を相手に仕えたがるか、総て食事に変わりあるものなり。相対して座したる時、真っ向に眼と眼を見合わせかね、必ず面を背け、或いは面を伏して両膝へ手をつき、肩をすぼめすくみたるようにて面を挙げざるは決して乱心に非ず。又腋下へ手を着させず、後へも人を廻さぬものなり。此の外に四診有りと云う、秘して伝えず。予嘗て試みるに又印堂ムックリと高くなりてある時もあり。気の凝りたるなるべし。夫れを堅く押さゆれば手足の力抜けるものなり。又背を下より逆に撫でれば大いに怒るものなり。

 さて治は灸治よし、鍼もよし、紫円も効あるものなり。烏頭・瓜蒂も効はあらんと思えども未だ試みず。又大奇事あり、袂のうちに沢山の毛あることは皆人の知る所なれども、病家の味噌桶の下を見るべし。衣服へついてある毛と同様の毛あるものなり。能く利害を説いて聞きすれば、鍼灸にも及ばす治するものあり。治せずは斯の如きの手段にせんと云うこと兼ねて心得て有る故に、其の術に恐れて治するなれば攻め道具の用意なしには利害ばかりにては治すまじ。

 子啓子嘗て狐憑きを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるはかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊しめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇って総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。此の伝を得手後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。病人の気を飲むように張り合いつけべし。若し向うに飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼にて狐憑きの落ちると云うは、此の術なりとありけり。余は刺鍼を解さず故、他にも鍼家に術ありや否やを知らず。灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。仲景の狐惑病は狐憑きのことには非ず。『叢桂偶記』に論じ置たり。狐憑きは邪崇と云うものなるに、俗医狐惑病と覚えたるを時々聞きて笑うべき事と思いしに、入門に狐憑きを狐惑と書きたる所あり。仍ってはめったに笑わぬものなり。

 頃南総の名医、津田玄仙子の『経験筆記』を読むに、狐狸秘訣と云う処に曰く「狐憑きは人中の紋ゆがむ○喉に×此の通りの紋を生ず○腋の下に動悸あり○手の大指をかくす○脈両方背けて斉わず忽ち変ず」。右五証の内一つ二つもあらば狐憑きの先規肝要なり。巴黄雄姜湯を用いて、其の精液を下す。巴黄雄姜湯方、巴豆・大黄・雄黄・乾姜各等分、右四味細末にして一銭ほど湯にて用うべし。大便瀉下するを以て効ありとす。若し治せずんば又三日ばかり間をおいて用うべし。必ず愈ゆるなり。後安心散の類を用いて補うべし。 詐病(けびょう)を見つけずに拙と唱えらるることあり。元来奴婢などの主人を偽り、病に託するほどの下賎たる人に多ければ、其の智も亦上等の人を欺くべからずと雖も、姦智巧偽の者は頗る本病に似るものあり。是は四診にて乍ちに見分けるべし。猶又、師到れば壁に向かうなど古人の云う所の如く、不正の心事正人に対しかねること彼の狐憑きの如し。傷寒論平脈法に曰く「設し壁に向かいて臥し、師の到れるを聞き、驚起せずして盻視し、若しくは三たび言いて三たび止む。之を脈するに唾を嚥む者はこれ詐病なり。設し脈自ら和すれば言う所此の病大いに重し。当に須く吐下の薬を服し、鍼灸数十百処すべし、乃ち愈ゆ」とあり。余は肘上を縛して脈を閉じたる体にしたるを見たることあり。眼中爽やかにて言辞度を失すること多きを以て診したりき。