積 聚   奔 豚   茯 梁   虫 積 

 

 五積六聚と云うより病目種々の字を冠せしめて通用す。疝積・気積・食積・血積・肝積の如きは医俗となく唱えるを見るに、酒を飲んで後腹痛すれば酒積と云うの類にて、一向に心得ありて云うに非ず。痰を吐し咳嗽する人、胸下などを痛むは痰積と云い、又腰腹股脚の痛みを疝積と云へども、是にも痰嗽などすればやはり痰積と云う。何のわけもなく何積と云へば病者も合点して治療を任す。積の字をば病の字の如くにみなし、上の字を要に取り扱う。笑うべきの甚だしきなれども、此の病に限らざれば今責めるに足らず。積は物の積もりたるを云うなれば、自然と出来るを云う。即ち音も恣になりてよけれども、せきに取りさばく。又形のある積の名なり。聚は気の聚りたるにて形のあるに非ず、或いは散り、或いは聚るのことにて と との如し。 は塊を結びてここにあると云う程に、微の見ゆる積なり。 は形ありと見ゆれども、仮の形にて散する時もあるの名なり。塊は手に当たり、或いは稜角有るものもあり。按じて痛むも有る。如何に按じても痛まずもあり。土のかたまりてあるを、ツチクレと云うの形に似たるにて塊とば云う。即ち と同じものなり。元来の字を設けたる、此の如きなれども中世来の医書には混雑して有り。

 さて長談なれども、ここに人身の一体積などの起こる所と中年より病むわけを語らん。此の意を理合すれば上下左右万病の変化詳らかに胸中にありて、何病にも病形より病因を知るべし。諸医籍の論にはあわぬ故に其の人に非ざれば無用のみならず、老子の「下士者聴いて笑う」の意なり。説きがたきことなり。五積六聚は五臓六腑に配するより起こるなれども、其の積の形は分かりかね、且つ又薬も分けてあれども、又は五積六聚共に治するの方などとあり、夫れならば五積六聚も分けるに及ばずに似たり。

 五積の名は、

 肺を息賁と云う。(難経に曰く、息賁は右脇下に在り。覆大杯の如し、久しく已まず、人を酒浙寒熱せしむ。喘 して肺癰を発す。春甲乙日を以て之を得る)

 脾を痞気を云う。(難経に曰く、痞気は胃 に在り。覆大盤の如し、久しく癒えず。人を四肢収めざるしむ。黄疸を発し、飲食肌膚と為さず、冬の壬癸の日を以て之を得る)

 肝を肥気と云う。(難経に曰く、肥気は左脇下に在り。覆杯の如く頭足有り。久しく癒えざれば人を咳逆 瘧に発せしむ。連歳已まず、季夏の戊巳日を以て之を得る)

 腎を奔豚と云う。(難経に曰く、奔豚は少腹に於いて発し、上りて心下に至る。豚状の若し。或いは上、或いは下と時無し。久しく已まざれば人を喘逆骨痿少気にせしむ。夏の丙丁の日を以て之を得る)

 心を伏梁と云う。(難経に曰く、伏梁は臍上に起き大なること臂の如し。上は心下に至り、久しく癒えざれば人を煩心に病ましむる。秋の庚辛の日を以て之を得る)

 今按ずるに伏梁は梁を伏したると云う義ならん。拘急して腹の両脇引っ張りてあるを云うと見ゆ。即ち芍薬の主とする所にて、急なれば痛みもありて甘きものにて治する。即ち小建中湯の主るものをや云うならん。されども一面に急迫して痛み心下悸するもの建中の症なれば伏梁の主方と覚えてはならねども、引っ張りたるは甘にて治するなり。奔豚は腎積の名にはあれども奔豚気と云いて腎積に拘らずに説たる所多くあり。奔豚気の病は胸に上がり、塞がるとあれば胸下にせまるものなり。豚(いのこ)の走りたるが如くにて俄に動悸の胸に上がりて昏倒するも有り。此の病は金匱に恐怖あり火邪ありと説けり。驚怖より発したるも灸あたりより病みしも見たり。苓桂朮甘湯を用いる所にて、又針砂湯、或いは鎮神丸もよし。又賁豚湯、存の外効ある方なり。息賁・痞気・肥気は覆杯の如しとあり、椀の別あれども、是は枳朮湯の主なり。金匱に「気分心下堅大盤の如く、辺旋杯の如しは水飲の作す所なり、桂姜草黄辛附湯之を主る」とあるは誤謬なり、と『金匱箋註』に見ゆこと長ければ本書を見るべし。

 されば斯の如くは何より起こると云う。根元は皆 血に属す。是を飲み込んで万病を通考すべし。血気の流注一身の貫通悪くなれば何の処にて結滞するも定まる処なし。其の 血になると云うは折傷打撲の因らず其の因、遥かに父母の血液受胎の時にあり。胎毒のことは詳しくは小児篇に説く。初生の児には胎毒と呼びて、 血といわず。胎毒内に蓄へ血気是が為に 滞して成長に及んで見わるるは多端の形に変ず。甚だしきは聾唖して泣啼すること能わず。是みな同じ毒なり。此れに発せぬは疳となり、驚となり、馬脾風となる。又腹痛を作し、哭泣昼夜を分けざるあり、痘疹に至りても其の軽重知るべし。中年に至りて発するは此の毒冉冉に満ち、新血を栄せず大絡中に結して形を見わす。時に外邪により、は食物に動かされて、夫れより持ち前の形を現すは人々にて多端なり。内に蓄えたるは皆、積となり塊を結ぶ。食に因って発したればとて食塊に非ず。上衝・頭痛・偏痛するも、臂痛するも、脚痛するも此の塊のある所の絡によりて上下左右の分なく痛む。温散を主とするの理を知るべし。中風・痛風、又此の因なり。其の外、噎膈より諸癰疥・鼓脹・脹満・労 等に至るまで此の因によれども、其の形異なる故、名目も別れり。其の名目に泥む故に、積は治せずと云う人多し。 も も伏梁も外見にては異なれども実は同じにて、絡に節の出来て血の流れを留めたる所へ流れ来て其の所、いよいよ太くなり、絡張りて瘤の如し。故に其の辺、双筋ともに此の絡に押されて順流爽やかならず、冉冉に流れを留めて皮肌上より按ずれば、塊とも とも云うべき形になる。此の時、物の為に動かされて発動して痛みを為すもあり。流注ならずに極まりてそこに溜まりし。 血絡に結びて堅塊するなり。又は天気寒涼などによりて流注を留めたりは服薬・鍼刺にて頓に流れて筋絡も緩む。是を聚とも とも云うべし。立筋の大小絡一つに引きしめて急に張りたるを拘急、或いは伏梁と云う。此の絡の通ずる所により腹中にさわらずに背脊、或いは手足へ引きて痛みを作すもあり。腰部に凝りて寒涼時気に因って痛むを疝と云えども亦同じ因なり。一体疝の字は積の大きなるの名と見ゆ。山に从うにて知るべし。血気順流して調栄する人には此の積はなく、則ち胎毒なき故に血も せず順流するなり。痘疹も軽く無病の人とば云うなり。血 する人、瘧を疾んでも截かね塊を作る、瘧母と云うになり。傷寒痘疹等に至るまで皆重し。婦人は之が為に経水行なわれず、或いは孕むすること能わず、鼓脹・脹満になるもあり。ここに意も用いて病因を考うべし。内発の病、皆是より起こる。腹候の心得第一なり。『東門随筆』を見て味わいよ。

 又世に肝積と云うは手足を引きしめるも口眼などを引っ張るも、癖のつきて目またぎ、繁く鼻をしかめるも、脇腹を痛めるも、筋のつるも、気をもむも、気短にて怒るも泣くも肝積と唱う上に説きたる。肥気とあずからず、清心抑胆湯・柴平湯などを用ゆるに至りては其の因をも考えず。又精神安ぜずは多く心気不定の症に属して三黄湯之を主る。夜眠ることのならずは乱心の兆なり、油断するべからず。心神不暢して乱心もせんと云うには柴胡加竜骨牡蛎湯甚だ効あり。又気をいらつくは人参の主る所なり。又痔瘡、或いは頭上などに発したる疹を伝薬して俄に治して、夫れより前症をなすもあり。皆大便燥結するものなり。漫りに肝積にだまされまじ。又腰背部へ灸治など大効あり。疝積と称するは別に説くべし。気疝と云うものと気積と呼★すは、積と云ううちに癖疾にて、わけもなきことを気にやみ、或いは万物を不浄に覚え夜寝ることならぬの類、癇に属すべきものと雖も、是は素問に心気痿と云うものにて、心のなえたる如くにて訣もなく取り越し苦労する、何事も心にかかる。方書に  ・驚悸門を立てたる所にして、是も柴胡加竜骨牡蛎湯なり。多くは胆略の泣き人、志願を遂げず神を傷んで病む。是は動悸処々に有るものなり。其の動は何れより出たると云うことを味わい求めて、且つ又如何にしても治せぬを考え見れば、胎毒久積して起こるのわけも知るべし。食積と云うは食傷の治しそこねたるなり。消食散たちにておそこそと仕えて終に食積となり血液栄せず、骨立して廃人になるも有り。是は嘔吐の処にて論ずべし。是には癖嚢と云う一回の話あり。痰積は留飲にて見るべし。血積は甲字湯・鼈甲湯にてよし、或いは反鼻を用いることもあり、附子にて温散するもあり、婦人の積は皆ここに限る。其の形は背脊・椎骨の左右の膂肉を痛み、腰冷・足寒・上衝・耳鳴り・頭痛・眩暈するの類みな 血に係わる。猶婦人篇にて詳論すべし。積の形を見わずに心下痞し、時々痛みをなすもの多し。乾姜黄連黄 人参湯、嘔するものは小柴胡湯にて宜しきもの多し。背脊部腰脇など灸すべし。絡脈流註してよし。太平日久しく人、気欝する故に大柴胡湯、或いは抑肝散の類にて其の欝を去るを好しと云う説あるは尤ものことなり。心煩する積には半夏瀉心湯などを用いてよし。又灸痕膿をなせば 血是より発泄してよし。然れども、血液枯燥する故、灸痕も乍ちに痂脱して外に  ・疥疹なども発せぬものなり。生漆五十銭、味醂酒一升に和し、七日に飲み尽くし、一身疹を発し癩の如し、 濁外泄し宿疾頓に治す。旧年の血枯、腹痛等に用いて妙なり。赤丸も同意味なり。麻痘後、痼疾を忘るる人有るは、 血外泄して治すなり。又食物に嫌い多く味噌などを嫌がり、もすれば頭痛・悪心・南風にても吹き、或いは陰雲雨を催すの時には必ず兼ねてより頭痛・悪心、或いは呑酸す。其の面色曇りて眉間両目の間に隠々と微黄色を帯び、常に唾を吐く。白沫にて痰に非ず。或いは眼眥に爛のあるもあり。斯の如く人は心下中 の処、むっくりと高く柔らかに手掌の下に溜まると云うような手ざわりにて、凝ったりと云うなすほどにも見えずにあり。即ち虫積なり。是は度々見れば自然と悟りて知れる。芟凶湯正面なり。兼ねて紫円を用ゆることも有り。此の虫の害を為すこと百端なり、よく見分けるべし。虫を吐下するまで知らずに居ては大負けと云うものなり。虫積の原は胎毒に起こる故、此の虫穢を去りて思いがけなき容体の治すること多々なり。腹候にて識るべし。又俄に積と称して急痛する、是は心下へ物の上衝するは少なく、只急迫して痛むもの多し。気の聚りたるまでにて、一時に解散すれば驟雨の晴れたるが如くになる。香気の高き薬品にて散ずるもの多し。奇応丸・令壽丸、甚だしきは熊胆などにてよし。婦人に多し。絡中 滞絃急して背脊に引き痛むもの、足部に針をして緩むものあり。絡脈の事なること知るべし。又動悸強く胸やけるは猶更中 以上、急痛するは工彖散奇験あり。一種心下急痛するに手も近ずけがたく痛む者、面色を見るべし。唇の色も悪しく顔色をしかめ、六脈閉伏したるには心痛あり、大病なり。されども形は似て心痛にあらざるもの多し。真心痛は脊椎五兪の辺へ徹して、是へも手をつけるもならず。痛むか平臥することのならぬものなり。手足逆冷することあれども、是は常の積にもある。先ずは撫でさすり按摩を喜ぶもの、皆心痛に非ず、小建中湯、或いは芍薬甘草湯、是は脚へ引きつるの主なれども急迫へ運用すべし。又桂枝加附子湯を甘草を本方の通りにして奇験有り。痞痛には参連湯・熊参湯・木香散もよく、工彖散もよし。只小建中湯のいくところ、腹気懸隔なり。腹の見分けに意を付けて、急痛と痞と との分けを見るべし、苦痛は同じ形なり。さて余りはけしからぬに痞えて痛むには弄玉湯、桂枝加苓朮湯などにてもよし。

 失精の人、臍の左傍に動悸ありて、動もすれば上衝し奔豚の状をなす。是素問に所謂大衝の脈なり。奇経の衝脈腎経の脈とを合する故に、其の脈大にして無病の人にては大脈となり、津液竭乏、失精乾血の人にては動となり塊となる。強按すれば痛み上下に引きて堪え難し。癇の発するなどもここに根ざす。調理力を尽くすと雖も、其の動塊穏やかになり難し。是腹候の一つにして其の脈の昇流して左胸に出るを虚里の脈になると見ゆ。虚里の動は腹候の条に云う通り、脾の大絡とあれども、此の脈の上流なり。竜骨牡蛎を運用すべし、桂枝にも柴胡へも加う。奔豚気と同形にて至って治し悪し。久病後に多し。又久病の後に食をすると痞え、或いは腹脹し噫気などするは積の部へは属さず、胃気の和せずなり。腹になると発するは腹勢悪くなりて発するなり。食を与うべし。是には疝積多し。疝も腹痛する多し。腹にて見分けて知るべし。当帰湯、又は烏苓通気などなり。又夜中寝入りのむつかしきと云う積には食を与うべし。又朝々腹のむつかしきにも、夜中臨臥に食せしむべし。唾中に空腹になり故、腹勢悪くなりたるなり。又尿床(ねしょうべん)する人に食を厚く与えて、其の夜は泄らざるは腹気下に実する故、腹勢上に引き上げ、拘急せぬ故に、小便もれず。朝の積の発するを止むると同意なり。

 

芟凶湯   虫穢物を下す方

  鷓鴣菜二銭  大黄二分、或いは三分  蒲黄二分  苦楝皮二分

 右四味、水一合半を以て煎じて一合を取り、空心頓服日に一、夜一。小児は意を用いて之を減ず。大便滑なる者は大黄を去る。

 

参連湯  諸気疾心に衝き、直視煩悶、或いは吐血止まず者を治す方。

  人参  黄連各五分、或いは一銭

 右二味、水二合を以て煎じて一合を取り、少しく熊胆を加えるも亦妙なり。小児驚風も亦之を主る。

 

熊参湯  主治は前と同じく、小児漫驚風亦之を主る。

  上好熊胆  人参各等分

 右二味、常に照らして煎じ服す。

 

赤丸  血痼腹痛を治する方

  生漆  大黄  麹粉各等分

 右三味、蜜に和し調い丸と為す。毎服五分を白湯にて送り下す。日に二、夜一。赤疹を発すを知ると為す。

 

鼈甲湯  男女塊癖を療ずる方。

  鼈甲  桃仁各一銭  虎杖七分  大黄二分

 右四味、水二合を以て煮て一合を取り、二剤にして数日後、大便に従り黒物黒垢を去る。膠散兼用甚だ良し。

 

  乾姜黄連黄 人参湯  小柴胡湯  建中湯  芍薬甘草湯  柴胡加竜骨牡蛎湯   桂枝加竜骨牡蛎湯  苓桂朮甘湯(以上傷寒論)  三黄湯(金匱)  紫円(小児  門に見る)  烏苓通気湯(方彙)  甲字湯  苓壽丸  当帰湯  弄玉湯   鍼砂湯  工彖散  木香散(蔵方)

灸  章門  不容  天枢  脊第二行 第三行