心 痛 

 

 是は難治にて、又急症なり。其の人常に脈弦急なるもの多し。是に緩急の二つあり、急なるは人を呼ぶの間もなく死す。兎に角救うはならぬ病なり。金匱に云うところの病状、今の見どころに符合す。是を弁ずるに「背痛心に徹し、心痛背に徹す」と云うは心背一時に痛むなり。心下は手も近づくべからず。少しさわりても忍ぶことならず。痛む背も五兪の辺り痛み強く、或いはムックリと腫れるも有り。平臥することならず、跪坐して苦しむ。の痛むことは常に有るの症にて、痛めばとて皆心痛なるに非ず、よく弁ずべし。場所悪しき故なり。病にて痛むども油断はならず。吐血することあり。心痛は鳩尾の真ん中、少しも脇へ偏らずして痛む。

 胸痺と云うは、ピリピリと響くが如く痺るる様に痛む。搶心は胸膈は痺れる様に痛み、心下は搶かかる様に痛む。懸痛は腹と胸とが離れて居るかと云う様に痛む。並々の痛みとは異なり、心中飢えたるが如しと云うは、すき腹になりたる様に覚ゆるなり。食を与えるに甘き物を食して苦痛の止むもあり、食して快きを覚ゆるは佳兆とす。「韮を食す状の如く」とあるは、声を立て呻吟するもならず、苦々しき顔をするなり。病の間ある時に見れば、痞たることも無く見ゆるものなり。急なるものは朝夕死すとあれども、今発して今死するもの多し。又少し吐血したるも時々見受けたり。是は胸痛して吐血する人多き故、吐血に属してよけれども、吐血と云うほどには出ず、一口までも出でず即死す。

 一種酒客の胸痛は吐血後、其の痛みを忘れる有り。其の緩なるは間々救うべし。其の形は皆胸痺して心中痞塞、懸痛背に徹すもの上に説たると同形なり。肥人に少なく痩人に多し。愚魯偶然の人に少なく、性急智巧の人に多し。痛甚だしきに至りては四肢厥冷す。一体此れの如く大病なれば何にても見違うべきに非ざれども積痛と甚だ似たり。俗人も心痛の難症なるは知る故、心下痞痛すれば苦労するを衆医とも心痛などとささやくを聞いて、益々様子悪く手足も冷えて自汗も出、痞痛劇しきは安臥せず転倒す。脈は是も沈伏す。心痛と混じやすし。只積は撫摩することを好んで、按者の手を放しかねるものなり。是心痛に非ざる所なり。兼ねて心得て居るべし。是を目利きの一つとす。又積の痛み発すると臥することならず、乍ちに跪坐するものあり。是は積にても悪しき形なりと知るべし。心痛の類なり。九種の心痛とあれども、一々に分けられるものに非ず。偶言なり。古方に括 薤白酒湯・括 薤白半夏湯を用いたり。薤臭を忌む人あり存分に用いかねる。胸中痞留・気結して胸に在りて、満して下より逆に搶心するに枳実薤白白酒湯を用ゆ。又人参湯も用ゆるとある。方意大いに異なり緩急の所にて二方を分けて用ゆべし。白酒のことは『叢桂偶記』に書き載せたり。

 此の病は兎に角温薬によし、附子を用いて験あり。 苡附子湯の類得と考え用ゆべし。嘔逆は兼ねたるあり。真心痛には非ずやと思われる。日々に痛みて悩むものは当帰湯至ってよし。烏頭赤石脂丸を兼用することもあり。急迫して痛むもの半ばに居す小建中湯によし。桂枝附子湯の甘草を本目にして多用するもよし。砂糖湯などよし。又餅の類を温かに煮て食すると暫らく痛みの発せずもあり。是積の空腹になりて発するに食を与えて止めると同意なり。又心痛の因に痔疾より発することを時々見受けたり。下血痔瘡など俄に止まっ痛するもの、又下血、或いは発瘡して癒ゆるなり。是に劇症はなけれども薬験なく長(とこし)なへに病むことあり。

 一士人痔疾にて下血す。馬鞍瘡を患いて肛外へ発し枯薬を以て平快す。一日強飲して醉臥す。夜半より心痛背に徹し、背痛心に徹す。指も近付くべからず、手足厥冷、只坐して臥すること能わず。胸塞がり気喘達明、少し痛みうすく心中飢えたるを覚え少しく食して漸に痛みうすし。手足も温まり益々生意有り。翌夜復発す。其の発せんとすると斉しく衣被を去りて起坐し、驚きて起つものの少しの如くも猶預することならず。是より発作あり、臥すること能わず、よりかかりに坐したるが後には疲れて終に横にこけると乍ちに発す。此の時には心中飢えるが如く、意地なりと言う。百薬効無く、別けて白酒の入る薬は痛み強し。脈常に弦大なり。一年余りに及んで病勢漸く退きたれども、半夜は平臥すること能わず。元来酒客なるか餅、葱白などを煮て夜食すれば痛みも堪え、よく腹勢ゆったりと覚う。又半年を過ぎ、時々微に下血す。是より痛み甚だ減じ、当帰湯を服すること一年許り、終に全快す。後四、五年を経て落馬したり。其の夜又発し前症の如し。 苡附子湯を与えるに寸効なし。夜半より発痛して少しも横になること能わず。烏苓通気湯を与えて三日ほど全快しけるが又発す。余因って痔疾下血のことを問うに百日前より痔の気なし、落馬したる時、酒を飲むに其の酒、美ならずことを覚うと云う。半年余りに及んで、骨立肉脱、元気衰えて人に対することを忌む。自ら云う、夜な夜な痛まんとする時、乾菓子の分けて甘き物を食べて快きを覚えると。かさねて小建中湯、或いは甘草乾姜湯を与う。胸の痺するは常に止まず、懸痛するは休作あり。種々の方薬寸効無く、日月を経て痛み漸々に退きて、既に一年許りにて平復す。然れば大便快利、時々下血して肌肉も生じたり。 一農夫富饒素封に比す。心痛を患う。隠々として膈間塞がり時に喘咳平臥することならず、飲食味無く痛み休作すれども手も近づくこと能わず。病の間にも按摩鍼灸することならず、日々医を迎えて議論区々に、千金にて治せんことを求むれども微験なし。一日天気清朗、病間なる時に楼に依りて眺望す。一声咳すると鮮血の唾沫を一口吐すや、あっと倒れて終に蘇らず。

 一唱家の夫、胸痺し常に心痛し飲食美ならず。病間なるときは気力常の如く。一、二友人来訪、囲碁して大発す。手も近づくことならず転倒乾嘔す。妻孥皆曰く、是酒傷なり、常に醒日なし。かさねて医の治するもの酒となし、之を治すも効無し。或いは疝となし、或いは痰となし三和散輩を連投すも益々危なし。余曰く、是を胸痺となす。即ち其の脊大五椎辺を按ぜんとするに、指をかざすこともならず。当帰湯加附子二貼を与えて痛み半ばを去る。三十日許りにして全く癒えたり。

 一士人心痛す。痛む時は人語を聞くことを忌み、自ら手を懐にして胸膈を撫でて平坐し臥することを好まず。自ら云う、痔瘡肛の辺に発して痒かりしに自然と治して発せず、終に祟りをなすと。余思うに、病軽しと。則ち当帰湯を与え、微功あれども痛みやまず、転じて桂枝加苓朮附湯を与う。胸膈を按ずること間遠くになり、便後時々微に下血するとやがて癒ゆ。此の症に腰部に灸をしたるに其の験ありしなれども是亦経歴すること少なし。後日をまつ。

 

   括★薤白白酒湯  括★薤白半夏湯  枳実薤白白酒湯  人参湯  ★苡附子湯   烏頭赤石脂丸  小建中湯(以上傷寒論)  当帰湯(蔵方)