主 客 

 

 凡その病を治するに先ず病因をたずね、其の後主証と兼証とを分けるべし。主客見えねば薬は効かず、其の分けようにて病名のつけようも違うなり。是其の医者の見立てにて巧拙のわかる処にて、眼のつけどころ第一なり。悪く心得ると主客の差別もなく、うかとして頭痛もすれば咳も出る痰もはると云う時は、桂枝湯も麻黄湯も又小青竜湯も参蘇飲も 黄散も敗毒散のようなるものは皆用いて適せずといわず、人々の心得て用いた所が何れでも治す。是は元来引風が主証故、発散すれば外邪の気去りて彼の兼証の咳も頭痛も治するなり。是に悪しく飲み込むと、方は何れにても良き事も思うは大非なり。

 其の主証は軽邪なれば薬にて無しども、温麺(うどん)にても生姜酒にても一汗して治す。引風の病人を見合いにして、大病にても何方にてもすむと取りさわぎをするは不案内より起きたるなり。初めの邪気が強ければ、うかうかとしている内に大病になる。主客の証、見えねば一方にては主治不足な様になるは筋を飲み込むぬなり。方は短味を貴ぶ。一味の分量多き故、其の気強し。多味なれば匕に少しばかりをかける故、何ほどの神品にても其の力豈に強からんや。欲心深く加減と云えども、減はせずに加ばかりして本方の薬味よりも加味多くなる有り。全く主客の見えぬ人のする所にて、是を大損と云う。

 さて主客のとりように付いて一つの話あり、夏日、奥州白川郡渡瀬村の農民の娘、産をしたりけるが時々寒熱ありて大汗流れる如く、遥かに余を迎う。因って官に乞いて病を経て行きて治す。豪農なれば医者大勢集まりて、衣被沢山着せて大事にかけて戸・障子も閉じて、独参湯と大補湯にて数日を連服すといえども、大汗二、三日に一発し、少しずつの汗は毎日なり。余脈を診するに浮散数、産後血熱の常体なり。飲食乏しく傍人の騒ぎ強き故、当人も必死の気になりて甚だ衰えたる様なり。医生等曰く、汗多く陽亡きは恐るべきの第一にて、頻りに参耆の効を頼めども、自汗多く衣被も二、三度ずつも着替えるに猶滌すと云う。余病家へ告げて曰く、着服多く戸・障子も閉じたれば、温熱の時節に余り欝して悪しし、平日通りに少し心を付けて取り扱ってよし。気力益々衰えるなれば、よき程にすべし。以来は汗も出まじと言い含めたれば、医生等余が高言吐いたりと思いしや詰問す。く、公等は兼証を治せし故に治することはなし。自汗ばかりか風と発するならば、公等の主方通りてよきことならんか、先ず寒熱が来てから汗を発するは、汗は兼証にて寒熱が主証なり。寒熱をさえ取れば汗は出ずべきはずなり。是主客の証の取り違えなり、極めて知る。此の婦人は産後壮健をたのみて保護の仕方悪くして此の証を発せたらんと云えば、家人皆曰く、平産故にあまり用心もせざりけるが、一日悪寒戦慄して此の如くになりたりと語る。産後二、三日を経て発熱するは血気も新たに動きて、未だ落ち着かぬ処へ外より動かす故に、件の如き証を発するもの多し。即ち柴胡桂枝湯を作りて飲ましむ。二宿逗留する中、気色を得て、是より寒熱来たらず。寒熱なき故、発汗もなく全快したり。主客の見分けようにて病人を不治の郷へ案内して引き込むようになることあり。

 又産後二、三日を過ぎて、血暈を発するものは必ず乳汁出ず、其の熱も解しかねること、当座に発暈するよりも悪しきものなり。