痰   喘 息   咳 嗽   哮 証 

 

 痰の字、素難及び傷寒論に見えず、金匱要略に出たり。此の病は人々無きことなし。朱丹溪、是を主張して万病痰に属すと云う見識を立て、医家これを尊信して聖の如く神の如く思う。痰のわけも吟味せず古医経の有無にも構わず、公然として痰といえば医俗ともに合点す。例えば背脊頚項手臂痛するに痰なりと云い、中風を指して痰と云い、眩暈・頭痛も痰と云い、神気不定も痰なりと云い、労 も痰労と云い、脇胸痛は痰積と云う。是みな丹溪に始まる。張★★が痰は病を生ぜず、病は痰を生ずと云うは確論なり。痰は淡と云う意なりと釈す。金匱に溜飲偏の目を出す。其の方は証候に従い殊験を奏すなり。亦水腫に合考して効をとる。今是を考えるに痰は人身中の水道に溜まる所の穢物なり。上に出るを痰と云い、下に出るを腸垢と云う。即ちなめと呼ぶものなり。赤子の未だ乳せずにも喘すると痰を吐すあり。さすれば内には初めよりかにばばと云うものと一同に生ずるにて、必ず飲食口に入りて湿の化計が痰になるには非ず。さて食物口に入ると胃に納まるの上口を喉★と云う。其の喉は食道なり。夫れより胃中まで一面にめったりと厚くの口の如くあり。の気に切れて口に出たるを痰と云う。胃中より下口大便を送る道を大腸と云う。其の道にも食道の如くめったりと痰の堅きものが着いてあり、下利数々なれば動かされて肛門より出たるを痢と云う。此の外に痰と云うものの在所なし。肺の持ち前にするは畢竟肺は上に居る蔵にて肺管など云う故なり。其の肺管は気道のことなり。此の気道中には一点の物もなし。万一に此の気道へ水飲一滴も入れば立ちどころに咽せて咳するなり。其の咳する勢いにて隣の食道の★★を上にさそい出す故に肺管より出たりと思いて肺に属したりと見ゆ。痰を肺に属したるは素難の経には見えず。痰の字無けらばなり。さて咳嗽するは引風にても直に見す証なり。邪を散じ本病を治すれば痰にかかわらずして治するなり。恐れるべきものは其の咳嗽の止まずに数日を経て微寒熱往来するもの労咳になるなり。喘は呼吸に声ありてゼレゼレと云う。咳嗽喘と皆麻黄の主治とす。其の原は外邪によりて表証に属すればなり。小青竜湯を用ゆ、若しくは熱強く渇せば大青竜湯にするなり。往来寒熱するものは柴胡桂枝湯を与う。若し白沫粘痰を吐するものには皮弁散を兼用す。此の散は何れにも強く咳し粘痰白沫を吐する的にして何湯にも兼用すべし。労咳に至りては麻黄にて治せず。さて又喘息は呼吸に滞りのあるなれば何病にても兼て病は凶兆となす。別けて 病に咽中微喘するは死に近しとす。大病人に此の証を見わしたらば危なし。且つ又喘は痰喘咳喘ありて痰咳退けば治すあり。是は本証の軽重によるべし。動悸ありて呼吸へさわり咳するは柴胡姜桂湯にすべし。盗汗小便不利などするは猶更よしと雖も、必ず本論の主治に拘らず、潤いのある向きの咳を的に用ゆ。哮喘と云うは古は喘と一同に論じたれども、今は別証にす。哮吼とも云い、弁せずべからず。仲景の桂枝加厚朴杏子湯を用いたる喘は即ち是なりと云う説あり。試みるに未だ其の験を得ず。此の証に竹瀝など総て痰薬を用いて却って劇しくなるものあり。其の病多くは持病と称して歳に三四度発するあり、月々に発するあり、一二日或いは四五日、又深夜に発して昼に至りて穏やかなるあり。大概は秋冬春夏の交、時候不正の節或いは陰雨非時の冷気に発す。其の因疝に係わるものあり、疝に論ずる通り腹候を察して疝を治して喘の止むあり。既に愈ゆれば忘れるが如く、発したるときは平臥することならず、高枕或いは起坐す。物少しも身に着けば益々甚だしきもあり。是亦大概は衣被を覆うて欝することを嫌う。寒天と雖も障子を開き、清風に当たるを好む。喘声大鋸を曳くが如し、甚だしきは合壁に聞こゆ。口をすぼめて呻吟す、今や死すらんと見ゆ。父母の病を相伝うるあり、益々如何ともすべからず、病と共に老いるもあり。さて此の喘息して胸痛するを的に括 枳実湯を用ゆ。上気の強きには蘇子降気湯を用ゆ。頚背強急するは葛根湯、心下急迫するは甘草乾姜湯に底野迦を兼用す。或いは砂糖湯にても穏やかになる。茶実丸哮喘の奇方なり。食は存の外なるものなり。背上を微々に韮葉鍼にて乱刺して、少しずつ出血すれば急迫立ちどころに退くあり。喘と哮吼と短気と少気と至って似たり。兼て弁し置くべし。何れ呼吸へ障る故、軽々しく見なすべからず。黄胖の 悸するは死生に関わらず。一士人常に哮を患う、後に下疳を得て軽粉を多服し、二三年にて治したり。此の後哮証再発せず。八九年を過ぎて復哮を発すること前日の如し。此の時に又粉剤を用いたらば治すべきやと思えども、病者も聞き入れ兼べく用様とも云い出し悪し。小児の馬脾風に軽粉の入りたる方、入門に見えたり。馬脾風は哮喘と似た形のものなり。今考え合わせて見れば其の味思うべし。咳嗽の治しそこねたるは労咳にならずとも至って治しにくし。其の元気をたのんで風冷を慎まず湯櫛を浸して癖つけたるは益々治しにくし。咳嗽甚だしきに合谷に鍼して止むあり。只恐るべきは労になるなり。微寒熱を帯たるは老壮に拘らず大事に治すべし。 疾になれば必死なり。

 金匱に、「心下ニ痰飲有り、胸脇支満、目眩するは苓桂朮甘湯之を主る。短気し微飲有り、当に小便より之を去るべし、苓桂朮甘湯之を主る。腎気丸亦之を主る」。皆痰薬に非ず。「膈間支飲、其の人喘満心下痞堅し、面色 黒、其の脈沈緊。之を得て数十日、医之を吐下して愈えざるは木防已湯之を主る」の類は今の痰には非ず。考え知るべきなり。膈間停痰あり、常に痛を覚えるの類は滾痰丸よろし。胸膈の間に云う分あるもの、又夫れよりおこりて眩暈などするもの、此の薬運用ありて広く通用すべし。諸咳嗽都て痰と称するものは外感に発するもの多し。因って外邪を疎すれば痰は治するものなり。必ず其の表証ある所を求めて処方すること専務なり。咳を後世医書専ら肺に属すと云うもの非ずなり。猶痰を肺に属すと云うと同意、素問に無き所なり。素問に云う、「肺之人をして せしむるは何ぞや。曰く、五臓六腑皆人をして せしむる。独り肺に非ずなり」とあり、今之を案ずるに咳嗽は呼吸常気の他に内気逆発し気息に併せ気息常度をなすこと能わずして咳す。気に動かされて痰を吐すなり。又痰外因に動かされて気息のさわりになりて咳す。又膈間動悸迫して咳する。短気不足にて咳するは労の咳なり。そこで頚元より出て根のなき様なり。凡そ咳の因、之に過ぎず。咳字説文に小児笑うなりとあれども、荘子・漢書・三国史等。 を咳に作る。古通用なり。猶欧を嘔に作り、歎を嘆に作るが如し。成無已曰く「 は則ち声有りて痰無し、咳は則ち声有りて痰有り」と云うも嘔吐より考え附けて新説をのす素問以下古書の無き所なり。此の説の奇なるを好んで咳を陽と為し嗽を陰と為すの類多く成氏の弊を受けて後世皆之に従う者多し。 に種々の名あり妊者の咳嗽を子嗽と云う。五六月より病みつきて薬験なく分娩すると立ちどころに止む。子の字を孕婦の病名にするは是のみに非ず。子嗽は 疾の候なくば苦労にするものに非ず。只蓐労にならずやと云う所を考えて防護すべし。又久咳を云うは数年余証無く咳嗽老年まで病むものあり。酒嗽又酒客咳とも云う。酒客の久咳するなり、是過飲にて留飲となるならん。証治要訣に冷酒を飲み冷水を飲みて此の証をなす。湊肺と名づくとあり。古は多く咳逆の字を用ゆ。猶嘔逆の逆の如しなり。此の他諸名多し。典籍を読みて知るべし。其の因は一なり。又小児に百日咳あり、くつめき又連声咳と云うは小児門に語る通りなり。

 一商婦秋間に至れば大いに喘息し苦しむ。常にも動作自由ならず廃人なり。余に治を求むるに任せて診するに、炬燵櫓に臂を支えて座す。数十日動くこと能わず。睡るにも此の形にて少なく倚則すれば立ちどころに喘悸甚だしく、食は一椀位と云う。仍ねて其の発するの時を間に脊より頚まで板の如くになりて顧にも痛む。一医勧めにて八味丸数百目用いて喘は少しくゆるむと云う。葛根湯を与えて五貼許りにて起歩することを得たり。数を重ねて全く愈ゆ。

 一老人久しく吼喘を患う。声四隣に響く。甘草乾姜湯にて底野迦を投じて愈えたり。再発する毎に前剤にて愈ゆ。此の証砂糖湯を与えて喘止むあり、急迫をゆるむる故なり。

 一士人嘗て黴を患う後数年を経て、哮喘を病む。諸薬効無く自止むを待つ。厠などへゆくとて起歩するに、傍人背後より手を膝上へ着くも悪しと此の人去り難し。急用なる時に酒三大鐘を傾くれば患う所失するが如し。起歩遠行常の如く。さりながら後日大発することは実に死に隣すると云うべし。又一士人同因同病なり。一医黄胖丸を用いて愈たり。何わけなるや。

 

茶実丸  喘息急救方

  茶実(生熟者佳) 百合根 礬石(各等分)

 右三味研 して丸と為し、毎服一銭

 

滾痰丸

  大黄八銭  黄 四銭  甘遂二銭  青蒙石五銭焼く

 右四味末と為し糊丸にす(万病回春に云う、一方に朱砂二両を加え極めて末にして衣と為す。而して甘遂を沈香に代える) 〇青蒙石を焼き法硝石等分を土器に入れ、黄金星を見わすを以て度と為す。

 

灸 肺兪 膈兪 四花 患門

 

二母寧嗽湯(方彙) 此の湯は咳逆甚だしく平臥することならず起座するに用いて効あり。石膏湯の意を帯びて諸咳に用ゆべし。