腸 癰 

 

 内癰とも云う。其の発する食傷の後に発す。又婦人産後にもあれども、半産後に発するもの多し。此の病は俄に発するものにて緩々に起こるは稀なり。其の痛み初起には腹中一面に痛んで何の分けもなく手を近づくことならず、能く能く按ずれば臍傍以下に塊を結び、多くは脇へより横骨際より塊を結ぶ。指尖も近づくことならず刺痛す。或いは腹面鼓の如く、側臥することならず、嘔するあり。寒熱甚だし、渇して絶食するもあり。積痛と混じやすし。積痛は何ほど痛むとても按摩することを好む。腸癰は按ずることならず。此の形心痛と同じなれども、痛処を異にす。其の上に積にも心痛にも無き病状あり、皮膚甲錯と云うあり。是は肌へ手当たりサラサラとして潤沢なし。例えば米粉を掌へ付けて肌を撫でるかと思う味わいあり。膿を作すと腹中鳴ること他病に無き声あり。医書に水鶏声に似たりと有り、先ず其の声、杓にて水を汲みかへす音に似たり。カワカワと云う時あり、壷の内より水を傾け出す声に似たり。ゴホゴホと鳴る、又サッと水傾きたる音を作す。転側するにも甚だ鳴る。一間を隔てて聞こゆるほど高くなる。腹痛強き人は第一に是を問うべし。さて二便ともに不利するものなり。小便に臭気あり、既に膿をなすの際に至れば小便白濁するもの有り。膿を小便より下すを小腸癰と云えども、小便よりばかり出るは無く、大小便ともに下膿す。膿を下して後、痛み頓に退くを佳兆とす。痛み止まず膿の下り少なく絶食にて痛み甚だしきは難治とす。此の病十に八、九を治す。難治になるは少なし。飲食を節にすべし。少しく厚味を食べば再復す。大人小児男女を問わず、皆病む。 苡仁大黄を主薬とす。只初起の看法に熟すべし。積痛と混じやすし。膿を下すまで知らざるに療治するは愧じるべきことなり。さて又積痛にても破血の剤は用ゆる故に腸癰を知らざるにも偶中することも有り。其の表に見れたるばかりを以て規矩とすれば此等の病因を索めず何ぞ疎末の甚だしきや。又下膿の遅き人有り。又臍中より膿を漬すあり。又表へ浮かべて結びたるは外科に刺させて口を付けて治したるも見たり。是は腸癰へば入れ難しと思われるなり。吾が門、常に考究する所なり。

 一本町六町目、商家の女児九歳、俄に腹痛昼夜啼泣す。其の腹手を近ずくべからず、数医を経て治せず、一唖科来て日々大 艾を以て腹部に灸すること連日、益す困苦す。食を欲せず二便不利、腹鳴水声の如し。後数日を経て臍中より膿を出す。余を迎う。腸癰なり、疲れ極まり羸痩腹大にして蜘蛛病の如く痩せて疳候をなす。只其の遅きを如何ともすべからず、父母曰く、臍口閉じて膿出ざるときは腹痛す、其の苦悩見るに忍ばず、死は其の分なり、愚おもへらく下すに遅しと雖も腹満と腸癰と皆下法にあり、かさねて甲字湯に大黄、 苡仁を加う。二貼を与う。翌日大便膿を下す。更に前剤を投ず。二、三日膿を下して腹満漸減し、臍中の膿収まり口を斂る。又日を経て膿尽き起歩するに至り飲食を節にし半癒を得たり。盗汗・羸痩依然たり。かさねて弄玉湯に転ず。八月より正月に至りて全痾す。

 千葉氏なる者は酒客なり。夏月鰯を食べて酒を飲む美ならずと覚え、此の夜吐さんと欲して吐せず、腹肚弔痛。手足厥冷、二便閉結、腹面板の如く、手近ずくべからずして側臥動揺する時は痛み劇しく死えんと欲し柱にもたれて坐す。冷汗流れるが如し。煩渇す、或いは霍乱となし、或いは食傷と為す。脈細数にて只胃気有るを吉とす。腹候痛んで詳にすること能わずと雖も小腹辺へ手を近ずけんとうすると未だ近ずけざるに痛む形あり、腸癰なりと思えども未だ口外するほどに決せず。腹鳴するやと問うに、家人曰く、常に雷鳴する人なり、別て高く鳴ると云う。かさねて暫らく傍に坐して其の様を診するに水声を作す。かさねて甲字湯加大黄を投ず。三日膿を下さず、腹鳴益す益す腸癰に決す。四日に至りて痛み劇しく小便點滴せず、余も又計り極まる。大黄牡丹皮湯を与う。数日にて癒ゆ。一夕田楽を食して痛み再復す。始めよりは薄しと雖も、病後調わず故に大いに疲れ極めず。されども下さずは治は望むべからず。かさねて大黄を倍加し再び膿を下す。数十日を経て平復す。

 鉄砲町商家の妻腸癰を患う。一日吐し、薬汁入らず。かさねて小半夏加茯苓湯を与う。漸いに吐止む。腹痛甚だしきに驚き他医を引きて治す。翌年又腸癰を患う。二便結す。吐逆甚だし。後には糞を吐す。或いは蛔虫など雑吐す。一室厠臭をなす。他医へ譲れども聴かず、死するばかりに見たるに、俄に便心を生ずると厠に登る間もなく乍ち膿数舛を下して前証悉く退き、次日より飲食進んで平癒す。翌年又腹中結痛して腸癰を為す。百薬効無く死す。

 寛政庚戌、東上す時に一士人の室疫を患う。寒熱煩渇脈浮数、嘔逆食無く、腹痛大便せず、一医之を治すも効を収めず。更に一医を引いて病益々甚だし。かさねて余に乞う。診するに全く疫に似たれども腹痛雷鳴するもの疫に非ず。かさねて小解するに臭気如何と問えば熱毒の強き故か鼻を塞ぐ程臭しと云う。是腸癰なりとす。其の遅きに嫌あり。かさねて固辞す。強て親類を以て療を乞う。先ず巫神湯に 苡仁、大黄、桃仁を加えるを一貼を与う。其の夜膿を下す一行腹痛やや穏やかに総て快きを覚えて家人喜ぶ。かさねて再診するに病勢少しく退く。前剤二貼を投じて又膿を下すこと二行、嘔逆失するが如く、飲食稍く進み三、四日を経て諸証退き二十日ばかりに全快したり。

 

 大黄牡丹皮湯(金匱)  甲字湯(蔵方)