四万十川紀行1

1987年6月9日(火)

 早朝、愛媛県は新居浜市の隣の伊予土居駅を出て土讃本線で高知の須崎に降りる。漁港として知られているが駅前は何もない閑散とした町。けど改札の女の人が親切に対応してくれうれしい。ガイドブックによると,ここから大野見村へのバスが出ているはずだが、間違っていて正しくは土佐久札(とさくれ)から出ているとわかる。ガイドブックが間違うなよ! 土佐久札は有名な漫画の「土佐の一本釣り」の舞台になっている漁村で、昔に戻ったような懐かしい匂いがある。ひょこっと町かげから主人公である純平が出てきそうだ。町を歩くと若者がまったくいない。しかし老人がいきいきしているのは見ていて楽しい。 大正商店街で魚屋をのぞくと実に安い! カツオ一匹700~800円。安いのは300円。40センチ程のウマズラハゲが300円。30センチ程のシミズサバが3匹で150円。買っていき、とオバサンはいよるけど一人でカツオ一匹こうてどないすんねん。 浜のそばの漁師街の細い裏路を歩くと、長屋の玄関にニンニクをつるしている家が多い。まさかドラキュラよけではあるまい。高知市には唐人町という地名がある。海流の関係で漂流してきた外国人の居留地であろうか、それとも当時の大陸からの職工として呼び寄せた人々が住んでいた処であろうか。想像してみると興味がつきない。土佐料理で日本料理には珍しくニンニクをよく使うのはこういう背景があるかもしれない。 市場のすぐ近くに久札八幡がある。久札の漁港もカツオの遠洋漁業の基地として知られているが、漁に出る前にここにお参りに来るそうだ。 さて土佐久札の駅前からオモチャのようなバスに乗って大野見村にいく。このオモチャで細い峠を走るのだからスリル満点である。その間ずっと運転手と無駄話ばかりしていたのでよけいに心配になってくる。ついでに今夜の野営地を教えてもらう。 バス停は大野見村の吉野(役場前)で降りるとすぐに橋がある。さて初めて見る念願の四万十川の上流である。胸をふくらませながら小走りにいくが川は期待はずれ(この旅のいたるところでこの同じ思いをした)。水は清明とはいいがたく、放流したのか鯉がたくさん泳いでいる。鯉は汚いところが好きやもんな。 今夜の野営地は少し下流の神社の下に決める。テントを張って毛針で流し釣りをするが、ムツばかりでアホくさい。 大野見村は農業用水がよく保全されていて、用水の中をのぞくとイモリがいっぱいいる。きれいな証拠である。農家も裕福な大きい家が多く、どこも庭いっぱいに花を植えていて非常に気持ちのいい村だ。桃源郷とはこういうところを称すのか。テントを張った近くの家の人と話をする。 「この川は日本最後の清流といわれとるが、最近は大水も全然出ず、川原が沼のようになりアシが生えてきた。いったいどこがきれいもんかね。魚も昔は足で踏むほどおったけど農薬やその他で少のうなってしまった」とのこと。ここは四万十川のかなり上流である。これから下流にいく旅が不安になってくる。 神社の横にシイタケの原木がたくさん積んであり、よく見てみると一本だけ霊芝の芽が生えていて驚いた。野性を見たのは初めて。その横にはトリカブトも自生していた。 かつてNHKでも放映されていたが、四万十川には面白い漁法がある。冬に小舟に乗り、棒の先にイタチの毛皮をつけて淵をさぐると、イタチの臭いに驚いてイダ(ウグイ)が出てくる。それをあらかじめ張っておいた網で捕まえるのだ。いかにも効率の悪い、この漁法には好感がもてる。 今回の旅では荷物を少なくするため、時間が惜しいため、また土地の物を食べたいなどのために、ほとんどを外食にたよることにした。晩飯を食うために村でただ一軒のめし屋である、役場前の焼肉屋まで戻る。奥の座敷できこりのおっさんらが大声を話をしている。県はほとんどが山林なので、きこりも多いのだろう。妙に学のある話ばかりで、高知のきこりはインテリばかりなんやなあ、酩酊しながら感心する。 酒を呑みつつ夜がふけてくると蛍が見えてきた。あっちこっちに乱舞している。幻想的な美しさだ。テントの中から幽玄な光に酔いながらもさらに酒を頂く。

6月10日(水)

朝、川原を散策していると横に車が止まった。昨夜のおっさんで、川の話をしながら昨夜の蛍のことに話題が移ると、昔は電灯がいらんほどたくさんおった、とのこと。ちょっと想像もできないなあ。 テントをたたんで窪川に向かう。路をゆくと、「ちょっとお茶でも飲んでいき」とオバサンに声をかけられた。つい最近まで大阪鶴見にいたとか。神社の下の野宿者は、もう村すべてに知りわたっているとのこと。田舎は刺激がないから野宿者一人でも一番の話題になるのだ。話をするのは楽しいが、窪川までは30キロもあるので先を急ぐことにする。竹見あたりでしんどくなってノドが渇く。あたかも用意されていたように酒屋があるので、朝の十時であるがビールでノドをうるおす。酒屋のオバサンは、一人暮らしのうえ最近は中風気味なので無理もきかず、いずれ奈良県の娘のところに移ろうかどうか思案していると話してくれた。まあこれも縁と、中風によく効くツボに灸をすえてやったら、お礼にと更に缶ビール二本を頂いた(なんとこの人は後日、奈良県に引っ越してから天六の壷中天に尋ねてきてくれた)。 貰ったビールを飲みながらも窪川への境を越えたところで腹も減ったのでめしにする。なんせ田舎で店もないので、しかたなく路上で自炊することになる。普段はめったに口にしないインスタントラーメンも悪くはない。ラーメンをくっていると、カブの前の荷台に犬をのっけた、いかにもいごっそうという風体のおっさんが止まって話かけてきた。たわいもないことを一時間くらいもしゃべるが、そのいごっそうのおすすめにより、窪川はあとまわしにして、松葉川温泉に寄ることにする。途中でオモチャのバスがきて、運転手がうれしそうに手を大きく振る。昨日久札から大野見村まで乗せてくれた人だ。 四万十川と松葉川が合流するところに栗の木があって、下が酒屋になっている。なんせ歩きの旅やからしきりにノドが渇く。当然ビールを飲みながら酒屋の若奥さんとお話をする (いいでしょ!)。年に一回、村中でイカダを作り、その上で酒盛りをしながら川を下っていくそうな。なんともあほくさく、たわけた顔をして酒を呑んどるおっさんが川に流されていくのが目に浮かぶ。ああ、わしも村人になりたい。 栗の木から六キロ程、松葉川を上がると松葉川温泉がある。本流の渡川(四万十川)が土砂採集や生活排水で汚れているのに比べると、この松葉川の美しいこと。旅をしてから初めて見る渓流である。気をよくして急ぐ。 松葉川温泉までの道程は、四本のビールのせいか思ったよりもきつい。何の変化もない田園をだらだらと歩くのはしんどい。 松葉川温泉は素晴らしい。苦悩の後の歓喜か。橋の下の河原にテントを張り、温泉に入る。泉質は四国随一でイオウの薫りとヌルヌルする感じは石けんがついているようだ。風呂上がりに大生ビールと鮎を食う。鮎は子を持っていて季節外れの鮎だ。冷凍物であるがやはり子持ちはうまい。この松葉川温泉の接客は、飯を食い、温泉に入るだけの、河原こじきのわしにも親切に接してくれて感激した。そういうわけでいい気分でビールを追加してテントに戻り寝る(まだ明るい)。 .目が醒めるとあたりはすでに暗くなっていた。時計をみると八時。ホタルが見える。やることもないので火を起こすことにする。焚き火はいい趣味だ。何か原始的な心がくすぐられる。河原にライトをつけて見にいくと、水を飲みにきたのか、小動物が逃げた。タヌキか猫か、そんなもんだろう。河原にライトを当てると、アマゴの子供がじっとしている。気がつかなかったが、夜は瀬によって寝るのかな。ライトを当ててもじっとしている。他にドンコとかサワガニがいる。ここの水はいくら飲んでも大丈夫だ。 なにか今、この時間帯が非常に貴重な感じがする。太古と一体になっているような。

6月11日(木)

夜どおしテントのまわりがうるさかった。昨日もそうやったけど、小動物が水を飲みにくるのだろうか。 朝テントをたたんでまた温泉に入る。一回400円は痛いが値打ちはある。意地汚く湯につかりすぎたか、歩くのがうっとおしくなり、窪川までバスを利用することになる。 窪川はまったくの町でびっくりした。ど田舎に突然と都会が出現するのである。久しぶりに喫茶店に入ると非常にモダンな店で、客もみな都会人の顔つきをしている。なんかタヌキかキツネにばかされているような感じさえする。この町は都会からの出張族や左遷族でなりたっているかもしれない。また原発の影響かもしれない。 駅からゆっくり歩いて川に出ると高岡神社がある。かなり古い建物。川沿いに散策すると、「万六の墓」があるが知らない人。他にもあまり見るところはないようなので、土佐大正に向う。 予土線はきれいな新車で二両編成のワンマン列車だ。窓の下の四万十川と一緒に土佐大正駅に到着到着。ここもなにもないところ。旧竹内家という史跡の下でテントを張る。ここは梼原川が合流するところの少し手前。仁井田川とも呼ばれている。眺めは川幅も広くなり、なかなかの景観である。ゆったりした流れの中を、鮎漁の船がゆっくりと上がっていくのは墨絵の世界か。ただ細い支流からはドブの臭いが流れてくるのには興醒めだ。 町を散歩する。西の方に街道が続いていて、古い落ち着いた旅館もある。地酒の千代登酒造は古いひなびたただの家。「無手無冠」は純米でいいお酒。「たれ口」と「鬼辛」は添加アルコール、糖類が入っていて飲み過ぎると頭がガンガンする。 少し行くと赤い大きな鉄橋があり、梼原川が流れこんでいる。ここから北へ2キロの大正温泉には歩く気力もないので、駅近くの飯屋で我慢することにする。カツオたたき一人前、カツオ造り二人前、親子丼、ビール大一本、千代登300㍉㍑一本。以上で二千円でお 釣りがきた。ここの隣は魚屋で、経営が同じなんで魚屋で売ってる値段で食べられるみたい。飯屋のおやじが裏山でとったニッキをさかんに自慢していた。桂枝である。鹿児島・高知・和歌山と自生している。 温泉街のような道を少し酔って歩くのは楽しい。ことに今の季節の南国の夕暮はこたえられない。貴重なトワイライトを楽しむためにレストハウスの二階でコーヒーを飲み過ごす。ここのママと旅の話をしながら十時までの長時間をねばったが、この汚いかっこをした旅人にも茶をだしてくれ、すこぶる好意的で親切にしてくれた。 テントの横は杉林で真っ暗。自分の手も見えない暗闇である。こういうときは、はやく寝るに限る。

6月12日(金)

朝5時20分に起床。顔も洗わず毛針を流すが釣れない。土佐大正から半家(はげ)まで列車でいく。渓谷のあいだを縫うように快走して窓下の風景が素晴らしい。どうでもいいことだが予土線の切符はまだ国鉄の名前で出ていた。ほんまどうでもええことや。 半家より3キロ川を上がっての「君ヶ淵」は見るべきものがなかったが、ちょうど登校時間とかさなって、やってくる小学生が順々に「おはようございます」と挨拶をしてくる。最初はとまどったが、すぐに慣れてなにか得したようで気分がいい。 この辺りは栗の木が多い。どこもかしこも栗の木だらけ。名前を忘れたけど、有名な栗焼酎もあったな。「かんぞう地蔵」は観光ガイドには載ってるけど、来てみたらあまりのあほくささで一気に疲れてしまったので、江川崎まで農業のオッサンの軽四を捕まえてヒッチハイクをする。車中で今後の田舎の農業についての時事放談をする。 江川崎の駅前には平屋建て「ふるさと案内所」があり(駅前の建物というとこれ一つだけ)、若いおねえさんが一人退屈そうにしていた。人助けと思い、しょうむないことを聞いて、「四万十川観光マニュアル」を頂戴する。 江川崎より歩いて中村に向かう。約40キロ。江川崎の四万十川は鉄道沿いの町の汚物を全部集めた感じでまったく嫌になる。ドブ臭さえする。おまけに愛媛県人の汚物も、最大支流である松野川によって江川崎に運ばれる。 .しかし、ここから西土佐村(いい名前やね)の川の相はますます広くなり、いかにも大河といった顔になってくる。普通、川は下流にいくにつれて汚れていくが、四万十川は江川崎から中村まで過疎地を流れ、その間にきれいな支流や湧き水によって浄化されていくのだ。 もくもくと歩く。津野で一服。頭から湧き水を浴びる。ここから先を歩くのはあほくさい。小舟かカヌーで下るほうが面白い。ゆったりとした流れのなかで李白の世界にひたるのもいい。 岩間を過ぎると道端にでっかいマムシがいる。しばらく眺めていると、嫌われたのか、じゃまくさそうにゆっくりと去っていった。ずっとずっと山中が続き、清流が注ぎこんで四万十川はますます清明になっていく。 口屋内は江川崎から中村までで、唯一飯屋のあるところ。ちょっとした集落である。ここの沈下橋からバス道まで数字がかきこんである。バス道の高さでちょうど十二メートル。大水が出るときは、ここまで上がってきてバスが不通になるそうな。飯を食ったらしんどなったんで、ここからバスで中村に行くことにする。  バスは誰も乗ってなく、中村までずっと一人で、運転手さんに観光案内してもらいながらの貸切状態。中村市は堤防より低いために昔は年に一回くらい大水が出て全没するそうだ。家屋の一階は水浸しになったらしい。こんな大変なことを笑いながらうれしそうに自慢しよる。ここらは桑の木が多く、養蚕をやっているのだろうか。それに土地が砂地や畑を造りにくい地形のようだ。 中村に着くとキャンプ地を教えてもらい、バス停でないところで降ろしてくれた。おまけに880円を800円にまけてくれた。こんな経験初めて! 銭湯にいっても身なりはもうりっぱな浮浪者。旅の垢がしみついている。風呂上がりのビールを堪能するために、隣のちょっとりっぱな料理屋に入る。四万十ウナギがあり、値を聞くと養殖ものの二倍とか。養殖ものが1000~1500円やから2、3千円か。もうじき旅 も終わりやしと思い切って注文する。30センチくらいでこぶりのウナギ。味は淡泊で臭みもまったくない。今夜の寝床である中村大橋の下にもいて、割合にゆっくりと泳ぐので簡単に捕まえられるらしい。今までの旅の話など、あれこれ話した後に勘定をきくと、主人は汚れた僕の姿がよっぽど気の毒に思ったのか、四万十ウナギは千円になっていた。今回の旅行中ずっと、人に親切にされることばかり。 旅の最後の夜、今夜はこのまま寝るにはあまりにも惜しいので、もう少し夜遊び。赤い中村大橋のたもとにある喫茶店「せぴあ」の扉を開けると、中はカーキチか暴走族の世界。いたるところに「〇×連合」のステッカーがべたべたと貼ってある。ちょっとやばいところに入ったかなあ、と不安ながらコーヒーを飲んでいると、ママさんが注文もしていないスイカをもってきてくれた。初夏の味と香りがしていっぺんに気分よくなった。単純なもんやね。 今夜の夜営地に戻り、川原をライトで照らしてみると小エビがいっぱいいる。エビの目が光るのでよくわかる。ぼんやり眺めていると遠くで花火の音がする。ああ南国はもうすっ夏気分やねんなあ。 テントの中で今回の旅を整理する。旅中ずっと聞かされていたのが、川が汚れた、魚が減った、昔の河原は白石ばかりで草なんか一本も生えてなかったなど云々。ここ中村でも土砂採集をしていて川の命を削っている。このままではこの川の命もそんなに長くはないかもしれない。もう高度成長でもあるまいし、これからは無為の考え方のやっていかないと、やがて近いうちに必ず自然からのしっぺ返しをあうにきまっている。 四万十川周辺の人々は皆この川を自慢し愛しているのに何でこんなふうになっていくのだろう。大野見村では合成洗剤を廃止していた。旅中接した人は皆いい人で、この川のおおらかさと似ていた。四万十川がだめになると、この人達も変わってしまうのだろうか。





四万十川カヌー編

 前回1987年6月に四万十川を訪れて以来、この川をカヌーで下りたい、という想いがずっと心にくすぶっている。しかしカヌーは高い。旅行で使うには当然おりたためるファルトボートでなければ不可能やけど、カタログみても20万円くらいはするもんな。まあしゃあないか、あきらめるか。

大阪の町をぶらぶらしてると、ゴム製のファルトボートが展示してある。
店のおっさん曰く、
「これやったらアマゾンでも下れるでえ」
ええなあ、欲しいなあ。値段は12万円。
やっぱり貧乏やからあかんなあ、とあきらめる。
しかし心の底にこびりついたものがしょちゅう浮かんできよる。
「月賦やったら買えんのんとちゃうか」とか、
「いっぺんメーカーに電話したらどないや」とか煩悩がどんどん湧いてきて、
もうこれはあかん、とにかくメーカーに電話したろ!

「ゴム製のカヌー見てんけど、月賦で売ってるとこ教えてくれへん?」
「ああ、あれはもう製造中止や。せやけど、在庫残っとるんで、いんねんやったら安うすんで」
「(7~8万くらいになんのかなあ)いくらしますん?」
「3万5千円や!」
「(ゲッ、・・・ 相手の気の変われへんうちに)ほなすぐ送ってもらえます?」
「よっしゃ!」

こういうわけでゴム製のファルトボートが我が家に到着した。
はやる心を押さえて家の中で組み立ててみる。
全長4メートル程でアルミのパドル(オールのこと)が二本付き。
精悍な感じでしばらく見惚れてしまう。一応二人乗りとのこと。
10分くらいで完成できる。普通のファルトボートだと30分はかかるから、
これは楽でいい。
カヌーの先端に「無為号」とマジックで書いて悦に入る。

 この後、愛媛の診療所で半年仕事をすることになるが、
なかなか休みがとれない。そうこうするうちにどんどん寒くなってくるので、
11月22、23日の連休を決行日とする。この日にそなえて芦屋の海洋体育館で
カヌーの特訓をした。

1987年11月22日。
午前2時12分に伊予土居駅を出る。宇和島に午前7時に到着。2時間ほど待時間
があるので街をぶらぶらする。
 朝10時ころ、かつて知ったる江川崎に到着。
「ふるさと案内所」は前回のときもそうだったが、ちょっとかわいい女の子がボケッと
一人で退屈そうにしていた。
途中でリュックを背負った二人づれの女の子がいたが
いつもなら喜んですぐに声をかけるが、この時は早く川に出たいので、
涙をのんで川に飛んでいく。

あれっ、江川崎ってこんなにきれいやったっけ。六月に見たのとは全然違い、
清流や。寒くなると川もきれいになるみたい。ただ水量が少ないので心配。
早速ファルトボートを組み立て、前の方にキャンプ道具一式を載せ、いざ出発。

.いままでの荷物の重さ(はんぱではない!)から開放され、まさに爽快。
11月とはいえ南国なのかすぐに汗ばんでくる。
ぬけるような青空の中を黄色のカヌーが快走する。川は浅いところも深いところも、
底がはっきりと見え、鮎が群泳している上を舟がすべっていくのは気持ちがいい。
江川崎より上流は上級者コースであり、この時期に沈はこたえるので、
安全策として出発地をここにしたのである。
水が少ないのでしょっちゅうカヌーの底をする。立往生することもしばしばで、
その度に舟をおりて先端のロープを持って川を歩く。人から見ればまぬけな風景だ。
瀬が近づくごとに、ゴーと音がして身構えるながらも突入するが、
舟がギシギシと不気味な音がしてきしむが体で感じる。
2キロほど下ると川が右に直角に曲がり、真正面に崖が見えてきた。
みるみるせまってくるが、流れが早いせいかカヌーはなかなか曲がってくれない。
焦りを感じながらも崖の直前にパドルをおもいきり右に沈め、カヌーにも体重をかけて 右に傾ける。崖にカヌーの底が当たるような感じで、ぎりぎりの無事通過。
始まったばかりの旅が終わりにならなくてよかった、とほっとする。
.津大橋を過ぎると流れがあまりなく、湖のように川面に秋の空と周囲の山々が映り、
景色はよいのだが、パドルを持つ腕が重い。



四万十川は11月に落ち鮎の漁期に入る。したがって川中至る所に網をかけてあり、
その真ん中に1メートル程の舟の通り道をつけてある。
本来なら、この時期をカヌーで下るのはタブーであるが、後で知ったからしかたがない。しかし釣り師や漁師とのトラブルはまったくなく、手を振ったりして歓待してくれた。

流れのない川をもくもくと漕ぐ。過疎地を流れる大河の両側は黒々とした山が連なり、
いけどもいけども同じような風景の繰り返しであるが不思議と退屈はしない。
ただここはいったい何処なのか、さっぱりわからないのが不便である。
左に北の川の支流らしきものが見えたから、もうまもなく口屋内であろう。
ここで昼食の弁当と清酒住吉を頂く。酔っ払い運転もカヌーには通用しない。
口屋内を出発してしばらく行くとカモのつがいが遊んでいる。パドルを伸ばせば
届きそうな距離で、ちょっかいをだすと邪魔くさそうに少しだけ飛んで逃げる。
ひょっとしてアヒルかな、と感じるくらいこっちを無視しよる。
しかし後で人に聞いてみると野性のカモとのこと。

濃い山に挟まれた大河にゆったりとカヌーをすべらす。
まったく流れがなく、まるで湖で漕いでいるよう。
山が川に映り、紅葉も川面に映り、川が紅葉してる。
水は底まではっきりと見え、恐いくらい。

黒潮踊る海に出たい。そのためには今日中に中村まで行きたいところだが、
何分流れがないのと、このゴムカヌーは安定はよいのだが漕ぐのに力がいるので、
思うように進んでくれないのだ。少し暗くなってくるし体も冷えてきた。
しかし中村まではまだ10キロ程もある。
薄暗いなかを重いパドルを動かしながら思案していると、
左岸からたき火をしているオッサンが声をかけてきた。ちょうどよい、とすぐに接岸。

オッサンといっても皆まだ二十代で、農業を営む5人の青年社長達だ。
捕れたての鮎を焼いている。さっそく頂戴し清酒住吉を呑む。
落ち鮎は初めて食べたが、卵が充満していてうまい。
鮎のあぶらの煙りが顔にからみついて、手で顔をぬぐうと顔もいい薫りがする。
テントをたき火の隣に張って、濡れた服を着替えると漸く人心地がついてきた。
すっかりまわりは暗くなり、鮎がジュージューと音をたてている。
落ち鮎を三匹とヤキトリを頂戴す。鮎は雄雌両方喰ったが雌の腹には卵が充満して
たいそううまかった。
酒も回ってきて、彼らと四万十川を大いに語る。
明日は一條神社がお祭りとのこと。農業会館にも来てくれと誘ってくれた。
青年農家達が中村まで酔っ払い運転で帰った後、しばらくたき火をして9時に就寝。

11月23日
5時半に目がさめたが、雨を降ってるのでまた寝る。6時頃に昨日の連中のうち2人が
仕掛けた網を見にきて、ついでに起こされた。
雨の中でテントをしまい荷物をまとめる。差し入れの熱いコーヒーがうれしい。
場所は地図をみると川登の大橋の少し北。中村まで10キロ程。
雨は雨で情緒があっていい。秋晴れよりも四万十川には似合っているかもしれない。
7時きっかりから必死で漕いで中村到着は9時半。非常に腹が減ってたので、
.カヌーを河原にほったらかしにして大急ぎで街に出た。

祭りの中村市は雨が降っているが活気があっていい。
一條神社では篝火が雨を跳ねとばすような勢いで燃えている。
東下町は露天商がずっと続いていて、なかなかの盛況。



メシを喰ってからブラブラすると10時。
今日の予定はここから河口の下田港まで下り、16時、中村発の特急に乗ること。
しかしここから河口まで10キロ以上あり、早く漕いでも3時間以上かかる。
汽車に遅れるかもしれないのでカヌーを中村大橋の下でたたむことにした。

タクシーで農業会館へいく。いろいろと展示販売しており、四万十ウナギ三匹
(一匹350円)と芋の加工品を購入。農業青年達とは会えなかった。
農産物も豊かで特産品は多種ある。蚕・いぐさ・生姜・・・・
中村駅でウルカとごり煮を買って、13:02発の各駅に乗って高知にいく。
今回の旅はこのあっけなさで終わった。




四万十川カヌー編 2

1989年 5月4日 前回は初めての四万十川カヌー行ということで安全策として江川崎より下ったが、 今回は激流に挑戦してみることにした。

汽車が土佐昭和に到着。さあやるぞ!とリュックをかついだとたんにブチッと 嫌な音がして担ぐベルトがちぎれてしまった。 これ、この日に初めて使う、真っさらの、あの有名メーカーM社の、一番大きい 80リットルの、金にいとめをつけずに買ったものや。

なんちゅうこっちゃ! 仕方なく前に抱くように大きなリュックをかかえ、ぶさいくな姿で歩く。 前が見えへんやんけ、腹の立つ! ようようのていで、河原に降りカヌーを組み立てる。 ゴールデンウィークということでやはり他にもカヌーがいっぱいいる。 前から憧れていた、フェザークラフトを汗いっぱいかいて組み立てに苦戦している人 がいる。見た目はええけど組み立ては大変や、と嘆いてはった。 わしのは簡単で一番後から来たのに、川に入ったんは一番先やもんな。


さあ、いよいよ急流に舟を浮かべて出発。進む速さが前回とは大違いで、 緊張感と体に感じる風が心地よい。 もうほとんど激流の連続で、前からザパッと波をかぶる。回りのカヌーもどんどん沈 しよる。カヌーもいろいろあって、沈しやすいのはカヤックで、見た目も不安定で 激流の中でミズスマシみたいにもまれている。反対に激流に強いのはカナディアンで、 グラマン社製のジュラルミンカヌーを漕いどった二人組の勇ましいこと、 激流関係なしに進む、無敵のキャデラックみたい。 わしのカヌーもカナディアンタイプで、まさに不沈号が行く感じで堂々としている。 波の上を飛ぶように流れていきよる。

この時期の四万十川はカヌーの品評会みたいなもんで、いろんなメーカーのカヌーが ある。しかし一番光っていたのは、一番安いわしのカヌーやった。皮肉なもんや。 誰も見たことがないんで何処でも注目のまとやったね。 白波のないところでも流速はあり、パドルは方向を変えるだけで漕ぐ必要もない。 土佐十和村では無数の鯉のぼりが川を渡って掛けてある。見物人も多く、 こっちに手を振ってくる。この辺りは流れも緩やかで、 おもむろに手を振り返してやる。ゆっくりとね。 スターにでもなったようで気分がいい。こんなん結婚式以来やな。


半家(はげ)の沈下橋の下では沢山のカヌーが待機していた。ものすごい濁流で、 パドルを力の限り振り回しながら頑張ってると岸から拍手が起ったが、残念ながら それに答える余裕もなく顔をひきつらせながら通過。 江川崎を過ぎると前回と同じで流れがなく退屈する。前に危なかったところも、 激流の後ではいかにも退屈なだけの流れ。黙々とカヌーを漕ぐだけ。

今日は口屋内に泊まることにした。河原にテントを張ってブラブラしてると、 たぬき舟(水漏れのするボロ舟)に乗った、人なつこいそうなオッサンがニコニコと こっちにやってくる。話してもまさに天真爛漫で幼稚園児をそのまま大人した感じ。 今日の漁の収穫のテナガエビを沢山くれて、もう少しいたそうだったけど奥さんが恐い とのことで早々と家に帰っていった。 何か見たことがあるような気がしとったけど、後で調べたらようマスコミに登場してる オッサンやった。

1987年10月11日の朝日新聞には、 「中学教師止め東京から移住、川漁師2年半、板につく。東京生まれの平塚仁さんは  東京理科大卒業後、会社つとめの後、七年間教師をしたが、四万十川に来てからは  すっかり気に入り、一人暮らしの気やすさか居着いてしまった。一万円で買った手漕ぎ舟で漁に出て暮らしているが、一ヵ月の生活費は三万円とのこと」云々。 こっちにきてから嫁はんもらいよってんなあ。 5月5日 翌日は雨でこれ以上退屈な流れを下る気にもなれずに、リュックにカヌーを押し込めて 宅急便で家に送る。てぶらになり身軽であったが、どうも体調がよくない。 しんどいことはないけれど匂いも味もまったく感じないのだ。 中村でぶらぶらした後、家に帰って熱をはかってみると、何と41度もあるやんけ。 ああ今回もなさけない旅の最後やった。